名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これは恐ろしい虐待行為

文化12年4月3日。
朝、野崎騒動の件は以下の通り決着する。
末家 野崎源五左衛門、主税伯父鳥居五兵衛。
野崎主税のことは、家内をまとめられず、その上無慈悲非道の行いがあったので調べの上厳しく言い渡しがあるはずであるが、乱心とも聞いているのでそれには及ばない。
隠居を言い渡される。
永く押込置く。
御使番 野崎新九郎。
同様に永く押込置く。
主税の家を継ぐことを言い渡され、知行の内1000石を下され、寄合を言い渡される。
新九郎惣領 野崎猪三郎。
父新九郎が野崎主税の家を継ぐことを言い渡されたので、新九郎の家督は相違なく下され、御馬廻組を言い渡される。
宮町生まれ、東門前町長左衛門借家に住む文蔵娘で野崎主税に召し仕える妾さきは元主人野崎主税に奉公中、主税惣領の太郎作を退け、きのの生んだ次男権次郎を家督に立てれば自分にも都合がいいと考えた。
昨年秋、暇のことは聞き入れられたが、家督のことは聞き入れられなかったので家督に立てたく何度も催促していた。
この魂胆のため、権次郎にはよくし、太郎作にはそうはせず自然と扱いが悪くなった。
太郎作を折檻した際にも手伝い、太郎作の天窓(頭)を叩いたり、庭の水瓶に入れた時には衣服を脱がせたりしたこともあった。
その他にも厳しく番をし、この正月に水瓶に入れた際には変死とすれば家督は権次郎のものになると水瓶から上がって衰弱していた太郎作の治療もせず、介抱もしなかった。
主税が乱心気味とはいえ、権次郎を家督に立てたいがため天窓を叩き、水瓶に入れたことは心底残忍な行為であるので土器野で獄門を言い渡す。
権次郎に乳母には七里追放を言い渡す。
主税役人3人については家中をまとめられなかったことをとがめ、追放とする。