名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

何やらやり手の僧侶

文政1年。
昨年より肥州肥前・肥後)から豪潮という天台律の僧がやって来て、万松禅寺で准提観音の法で人を救い、祈祷する。
去年の冬から4月まで毎月8の日3日にはたくさん人が集まり、加持を受けるものが多かった。
5月になり、府君が御祈祷、千座護摩を務められるので5月より8の日は取りやめになる。
また、万松寺の山門外に高さ3丈(1丈は約3メートル)の宝篋院塔を建立する。
かの師の大願で扶桑(日本)に8万4千建立の祈願で、筑紫の英彦山に3丈6尺(1尺は約30センチ)の塔を建て、西国に都合3千ほどを今年中に建立するとか。
後に知多郡岩屋村の巖屈寺の住職を仰せ付けられるが、ほどなくして柳原に新寮を賜り、巖屈寺は弟子を輪番とする。
文政8年の頃から施薬なども行い、大いに人が集まる。
4の日に施しがあり、これは大坂の富豪菱屋貴兵衛によるものであった。
文政10年より施薬ではなく売薬となると、一向にはやらなくなったと。
翌年卯月26日、27日、28日
宝篋院塔供養の図
27日、28日両夜千灯供養
この年から毎年盆中3夜は千灯供養がある。
柳原でも同様、毎年行われる。