名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

カッコ悪い3人組

元禄9年6月7日。
まだら雲が空を覆い、昼過ぎると雨が降り始め、夜も雨が降る。
成瀬隼人正家来石原甚五兵衛・馬場五右衛門(弾七とも)・権平嫡子吉原助太夫の小番3人は江戸勤めの際、遊里に入り浸っていた。
そのため隼人正は体裁が悪かった。
この3人は用達藤江弥九郎を恨んでいた。
この日も寄り集まって大酒を飲み、自分たちの悪事がばれたのも弥九郎のせいだと騒いでいた。
今夜切り捨ててやると親類などに書置を遣わした後、夜半に弥九郎のところへ出かけた。
門を叩いて隼人正の使いだ、急ぎの用があるから屋敷へきてほしいと言い残し、蔵王という場所で待ち伏せをした。
程なくして弥九郎がやって来るが、3人は怖気づいてしまい、意見がまとまらずおめおめと通してしまった。
この朝、3人は書置を親類に遣わしていたので、怖くなり勝川へ逃げて行った。
そして吉原の兄のところでまた大酒を飲むと。
翌日、3人は13か国追放となる。
弥九郎は柳原に住んでいたので、3人が待ち伏せした場所は柳原の道であろう。
蔵王というのは怪しく、おそらく誤りだろう。
一説では、馬場・石原・吉原の追放は7日の夜弥九郎をだまし討ちにしようとしたが果たせず、この通り勝川に逃げ行った。
その後3日間あって追放になったと。
この文は8日に作ったもので、それはないのでは。
2、3日後ということであれば11日に追放となったはずである。
近頃、雨が降らず、苗を植えないところが多いと云々。
雨乞いが方々で行われる。