名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

悲しい恋の結末

元禄6年6月8日。
夜7つ半(午前5時)から雨が降り始め、明け方には止む。
丑の刻(午前2時)、飯田町養念寺門前でふりという名の23になる弓屋十兵衛娘を24になる理介が刺し殺し、理介も死んでしまう。
理介の兄は摂津守(松平義行)様の御馬廻りであった。
十兵衛の娘はかつて京に住んでいたが、その姿は美しく遊び者となってしまっていた。この春、十兵衛は京から娘を呼び戻すと、向かいの布袋屋の息子で片目の理介がこの女に恋をし思いを伝えて隠れて会うようになっていた。
理介は伽羅(伽羅木)の油売りで後藤理左衛門と名乗っていたが、吹き矢で片目をつぶしていた。
秘密というものは隠しても知れ渡るものでり、人々はこのことを噂していた。
理介は娘を家に迎えいれようとするが、親はそんな娘などには会いたくないと。
その後会うこともままならなくなっていた。
それならいっそ生きているよりあの世へと、養念寺の門のところにしゃがみ込み、今が別れの時と女は扇を開いて思うことを書き残し、嶋田の髪を切って扇の上にのせた。
男も歌を詠み、女を引き寄せ一刀に刺し、自らも喉を突いて息絶えた。
程なくしての大雨で血が流され、見るに堪えないような惨状であった。
女は死んではおらず、手足をピクピクさせる姿は哀れであった。
十兵衛のところへ連れ帰り、市川文左衛門の薬を用いようとするけれど、女は首を振るだけで口を開けずと。
(書置等略)