名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-09-14から1日間の記事一覧

いろいろありますな

文政6年4月13日。本町長者町で車の曳き始めが初めて終了する。益屋町大峰入(大峰山での修行)のけいご(警固)の衆は止めることになり、僧形の衆は黒衣に替る。宮町車は桧扇を新しく作る。

模像ってのもあるんですね

文政6年4月4日。栄国寺へ善光寺如来の模像が入仏する。この度京で彫らせ、信州で開眼する。大曽根より到着し、講中に幟を立て、迎えて参る。

秋葉さんは火防の神様

文政6年4月2日。この日から7日までの間、稲生秋葉で火防の祈祷が行われる。

これも初期消火のたまもの

文政6年4月2日。巳の刻(午前9時)、長者町6丁目桶屋で火が出る(すぐに消し止め、火事にはならず)。

戻したのは盗んだ仲間か

甚目寺本堂の大黒が6年前に盗まれるが、今年3月誰かが持ってきて戻す。報告の上、23日別当東輪坊へ戻る。

開帳が多いからまとめちゃいます

文政6年2月20日から4月10日まで白山村円福寺で十一面観音を開帳し、霊宝を弘通する。文政6年2月28日日から4月3日まで下条村常泉寺で聖観音を開帳する。文政6年3月4日から4月8日まで杉村心入寺で本尊明星見釈迦如来、子安薬師を開帳する。 …

人が集まればお金が儲かるのは世の常

堀川端の桜の花が去年からますます多くなり、茶屋の数も多くなり、20軒にもなる。天王崎のあたりに渡し船が出る。法花寺町本成寺で祖師の法会が行われる。

これも何だか…

文政6年2月15日。この日から24日まで東寺町妙蓮寺鬼子母神を開帳する。千巻たら(多羅?)、供養、音楽、説法。この日から南寺町極楽寺四十八夜前時念仏の説法を執り行う。

まあいいじゃないですか

熱田舞楽の太鼓を昨年江州高宮で張らせたが、今年の春またまた1つ奉納になる。

1年が終わりました

文政6年12月。名古屋の町中を木刀で叩き歩く侍がある。この人相がわかり、2人とも差控(閉門)を仰せ付けられる。1人は書院番、1人は大筒役の次男。今年の出来事を詠んだ歌を得る。老婆婚姻近年寄 世上一統評判頬。掛所再建勢就日 本山焼失告来時。経…

この火事も大したことはなさそう

文政6年12月14日。夜丑刻(午前1時)、大曽根八幡前で少し火が出る。

これは辛い

文政6年12月8日。申上刻(午後3時)過ぎ、西新町大筒役鈴木彦兵衛の屋敷が残らず焼失する。

なぜかホッとしてしまう

文政6年11月末。呉服町下辻番所へ酔っ払いがやって来て、辻番の汁を盗み食ったと。

確かにこれは隠すだろうな

文政6年11月15日(卯半刻(午前6時))。東掛所本堂へ本尊が入仏する(16日、17日供養)。図1枚摺って販売する。この行列の概要。長上下、半上下の者が1000人程。坊主が5、600人。児が8人で赤地錦の服。児が8人で茶地錦の服。笙4人。…

御木挽は遷宮の行事です

文政6年11月10日から津島の御木引(御木挽)が行われ、大賑わいと。名古屋から芸妓がたくさん出かけ、太鼓など打ち鳴らしにぎやかと。

誰も見ていなかったか

文政6年11月25日。夜、京町通古手屋の2人が切られるが、切った者はわからず。河野喜市(浪人で横井作左衛門親類)が流罪となる。

どうやら被害はなさそうですね

文政6年11月12日。8時(午後2時)頃、小さな地震がある。

また言います、死んではイケナイ

文政6年11月15日。朝、熱田伝馬町つる屋の女良と東田の者が相対死(心中)する。

この日は火事が2件

文政6年9月28日。夜7時(午前4時)過ぎ、御園下同円の屋敷が焼失する。同じ日、穢多の家1軒も焼失する。

かなりの火事だ

文政6年9月21日。巾下万松寺領新屋から西へ入ったところが焼失する。家の数は37軒。7時(午後4時)前、燃えだし、夕方に鎮火する。

埋め立てを行ったんですか

文政6年8月。熱田の浜辺の家を2間(1間は約1、8メートル)ずつ南へ移動する。海辺もかなり築き出す。

カッコよく降らせてほしかった

文政6年7月。雨が降らずに日照りが続き、雨乞がたくさん行われる。豪潮律師へ祈祷を仰せ付けられるが、効果はなかった。 盆(梵)天が少々出る。万屋町 祇園山鉾之通 朝顔棚の台を吊り、囃子方は美麗元材木町 朝妻船上材木町 橋弁慶中御園 石橋 いずれも甚…

何かはけ口が必要な時代か

文政6年7月。この月から8月にかけては御芦で大賑わいとなる。

真夜中の火事か

文政6年7月26日。夜9時(午前0時)前、水野彦四郎(先手物頭400石)の長屋が焼失する。場所は武平町筋杉ノ町東南の角。

ここでも大金がかかっている

文政6年7月上旬。東懸所虹梁(にじはり)が上がる。この虹梁は数百金かかったと。所々接いでありったが、かなりの大木に見えた。11日、12日の2日で足場を取り去り、さっぱりとする。

冤罪ってことか

文政6年7月2日。南鐐(2朱銀)を偽造した2人が土器野で磔になる。1人は40あまり、1人は25、6。罪は同じだが仲間ではなかった。若い方は門前町鶴屋という小間物屋でこの南鐐で買い物をしていたところをいろいろと品物を見せて引き止め、その間に…

こういうのを鬼母という

文政6年3月。巾下新道で乱心して子2人を叩き殺した女がある。宮町車の幕が今年変わり、表は小紋羅紗、裏は鋘絽(?)の服(生地)と。淀町指南車も新しくなる。

興奮して川に飛び込んだの

文政6年3月16日。堀川の流れの中に女がある。夫婦喧嘩だと。

ケロってけろりと元通りってことですかね

文政6年3月26日。下飯田で伊勢参りがあり、宮に迎えに出た者が帰ってから家の壁に提灯をかけ、熟睡してしまって火事になると。うろたえているところを引きずり出し、駕籠にのせてつり行くとケロ(けろり?)になると。その後、小便をしたいと言ったので…

爺さんの不注意が真実か

文政6年3月24日。4半時(午前11時)から東綿屋町の野中から出火する。風が激しく、8時(午後2時)頃鎮火する。子どもがなまり(鉛)を鋳っていると麦から(殻)へかかり、そこから火が出ると。実は麦からのところで爺がくわえた煙管からだと。