名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

1年が終わりました

文政6年12月。
名古屋の町中を木刀で叩き歩く侍がある。
この人相がわかり、2人とも差控(閉門)を仰せ付けられる。
1人は書院番、1人は大筒役の次男。
今年の出来事を詠んだ歌を得る。
老婆婚姻近年寄 世上一統評判頬。
掛所再建勢就日 本山焼失告来時。
経修騒動稍相休 弘法繁盛猶維未衰。
聞説木刀頻打斃 夜分謾莫出童児
一 老婆の婚姻は文慶堂という者の妻で54になるが30ばかりに見える芸妓であった。杉の町みの勘隠居がこの文慶堂へ金子30両を遣わし、離別させて自分のところへ迎える。
一 経宗騒動は日比津定徳寺隠居大徳と本用院目就との問答はとても甲乙つけがたく、宗門の俗人は2つに分かれ、大いに騒動になると。このことで翌年秋にこの大略を得る。次に記し置く。委細は別本に。2冊。
一 弘法繁盛21ヶ所廻りということが始まり、時には光明真言を唱えて夜中に町々を廻る婆、嬶(かかあ)がある。偏(ひとえ)に気違の如し。
一 東懸所新御堂の後、講中詰所が出来上がる。北門の工事が再び行われ、瓦ぶきになる。去る11月、報恩講の賑わいは少ない。本山焼失の取り込み中で斎はなし。25日だけ講中の斎がある。
一 大晦日、東輪寺裏で火事がある。