名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

嘘ついてる

宝永5年8月6日。
文左衛門の父親は善大夫に名を改め、文左衛門は父親の名を賜り、定右衛門と改めるようにと。
文左衛門はいまだ頭に報告をしていない。
側御用人武田文左衛門がいるので急いで名を改めてはと。
父の名を名乗れば目立たないのではとの彦兵殿の内意であると源右と武右が話してくれた。

今朝、源右衛門からの手紙で、昨日のことは話だけのことにしておき、伝左から文左衛門への内々の問い合わせなどではなく、伝左から源右と武右への内々の問い合わせとするべきかと。
そのため文左衛門は源右と武右のところへ出かけて話をする。
2人は頭のところへ出かけ、内々の問い合わせると明日書付を出すようにと。
このため今月中に書付を文左衛門が取り次ぐと云々。
申半(午後4時)、伝左へ行き、書付のことなどを相談する。
酒などを頂く。
又左衛門のこと、居所の雪隠の板を外し、壁を破って抜け出したと書く。
小頭の見分もあるので書付の通りに雪隠をしておく。
実はそうではなかった。
日が暮れて文左衛門は武右へ書付を持参する。
そこで言われたのは、又左衛門と伝左衛門親類書2通を今夜中に書いて、明日朝までに持参するようにと。