名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

晴れの舞台じゃないですか

文政5年11月16日。
枇杷島大橋が出来上がり、巳の刻(午前9時)、渡り初の式が行われる(橋守野口氏、老人大野屋清吉80才、介添同人孫作十郎)。
最初に奉行の検分があり、作事の仮小屋に入り儀式の様子を見物する。
通り始は橋守野口氏、次に老人ならびに孫作十郎、次に棟梁、この4人は西から東へ渡り、また東から西へ戻って橋の真ん中で酒盛の式を行う。
棟梁は先立って盃の土器で酒を汲み、橋に手向酒を流す。
それから老人盃を棟梁に献杯し、棟梁は飲んで橋守献杯する。
そこで立ち上がり、また東の橋詰めまで行き、奉行に一礼する。
この時奉行から老人に扇子1箱が下され、奉行へは老人から酒を献上する。
それから小田井村庄屋2人、枇杷島庄屋2人、組頭1人が各羽織袴で西から東へ渡り、また西へ戻る。
日比津村の庄七(立つけ着用)は宰領のように付き添って先頭に立ち、下人に馬を引かせて西から東へ渡る。
馬を見事に飾り、米2俵を付ける。
この式が済むと東西の竹矢来(囲い)を切り払い、往来を許す。
28年以上前、この清吉の父が91才で渡り始をしていた。
今回は清吉妻、その子清十郎、同妻、同孫清吉の妻も参加し、3夫婦が揃ったと。
少し前、江戸両国橋の渡り始の者の名と同じなのは奇妙であった。