名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

細々と指示が与えられる

元禄13年10月27日。
廻状がある。
津守様(松平義行)が逗留の間は、前々から出入の輩であっても伺いに出向かいないようにと摂州様の用人衆から国用人衆へ申してきたので、国用人からの廻状とする。
廻文がある。
切紙をもって啓達(申し上げる)する。
大殿様遺体が葬送で明日28日朝5ツ(午前8時)頃出棺し、建中寺に入られる。
この時刻に寺へ召し連れる従者はなるべく少なくし、召し連れた者や支配の衆は寺前、同心、明組の同心は相応寺前に出向くように。
これもまた、同役、相役で申し合わせた上で供の者は略するように申し渡されるはずである。
それぞれ召仕の行動にはよく注意をはらい、騒動など起さぬように固く申し付ける。
このことは老中が伝えられたことなので心得るよう。
10月26日。
梶田新助。
両城代殿。
それに付け加えて、28日が雨天の場合葬送を延期し、翌29日とする予定である。
参列する輩は熨斗目・麻上下を着るように。
かつまた、御目見衆も麻上下を着用、その親兄弟も最寄りの方々と一緒に建中寺・相応寺の両御寺前へ出向くように。
もちろんのことではあるが、葬送の当日はますます穏便にし、特に火の元は入念にするよう申し付けられる。
このことは足軽に至るまで申し渡されるように。
御覧の後は納所から城へ戻しするように。
以上。