名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

見てみたいなあ

文政4年5月18日。
馬の塔(御庭木御庭作りによる)。
連中の馬出しは真中にヘギ(片木)に俄馬と書き、左右に松の枝に下り藤の作りもの、競子(けいご)児は薄花色、流水に盃の模様。
若者は薄花色に松、梅、桜、紅葉、藤、杜若など白あがり(白抜き)で揃える。
橘町裏上の切(屋体(台Iのある小車に大きな蛤の上に橘裏の吹き出した作りもの)は子ども若者が警固し、貝取り出立は見事であった。
日用方寄合連中は善光寺であった。
箱祓いは善光寺の手石引。
子ども若者は白いひとえ物で善光寺への道中記。
一人一駅の墨画風景で、小牧から善光寺まで。
次に参詣の旅人は一様にこん(紺)の単物(ひとえもの)にあかき文字の紋所をつける。
その中に三方荒神の作り馬に乗ったじじとばばがねり行く。
山車は大きな善光寺籠(さし渡し(直径)9尺(1尺約30センチ)ばかり)。
唄を歌う。
その他唐人おどり、地おどり、いろいろな趣向があり、雨乞と重なりとても多かった。狐の馬乗りは本町2丁目まで帰ったのをまた呼び戻してご覧になったと。
20日、広井では礼馬として熱田へ参る。
今年は雨ごいと重なり、連日行われる。