元禄4年10月15日。
鈴木丹後守小頭250石の青木孫右衛門が親の命日で俗に大仏と呼ばれる栄国寺を詣でる。
ちょうど談義があるとのことで本堂には人であふれていた。
孫右衛門は裃を着て刀を差し大勢を押しのけ、高座へと上り四法を詠み始める。
群衆は不思議がったり笑ったりしていたが、小僧がやって来てもうすぐ和尚が出てくるのでと高座から下ろす。
しかし、しばらくするとまた高座に上る。
また小僧がやって来てなだめて下ろすと庫裏へ行って和尚に会うと言い出す。
和尚は狂人だと思い、用があると会うことはしなかった。
すると熱田へ向かった。
八剣宮に門があり、言い伝えでは開かずの門ということであった。
ここで孫右衛門は禰宜を呼びつけ、この門を開けて入るつもりだと言い出す。
禰宜は驚き、昔からの言い伝えで開けたためしがないというのに、こんなことをいうのは酔っぱらいか狂人だろうと思って適当にあしらって追い返す。
この前には孫右衛門は知行所へ行って、15日ほど毎日津島に詣でていたと。
元来大変な貧乏で、妻は今月お産の予定であった。
立ち去るがそのままとなる。