名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2022-09-13から1日間の記事一覧

デマはつきもの

元禄4年9月30日。昼、鳴海で火事があり、全焼した家は18軒だと云々。実は火元は宿場の西入口百姓家で、29軒焼失と。

なーんだ、嘘か

元禄4年9月。17になる女が長刀を横にし、馬に乗って来た者を親の敵と引き落として切り殺す。そして青山大膳のところへ入る。しかし、これは絵草子売の作り出したほら話だった。

素晴らしい弓だろうな

元禄4年9月。文左衛門の師朝倉忠兵衛公景に頼まれていた九錫彫の御弓と弾丸(矢じり)がようやく出来上がり光友公に進呈する。大変喜ばれ、武府より永田市郎右衛門が取り次ぎ、腰変り(腰部分の色が違う)の御服ひとつを拝領する。

終了です

元禄4年9月29日。若宮で遷宮が行われる。

そりゃそうだわね

元禄4年9月28日。建中寺前に住む舎人友之助が巻藁での肩試し16000本を行う。もっとも弱い弓を使ってのこと。

持参金

元禄4年9月28日。夜、丸山加左衛門が海野庄太夫妹を娶る。年は25、名はヱキ。着物代として金子20両を加左衛門は受け取る。

ご利益、ご利益

元禄4年9月。西杉村で四十八願が行われる。大須で灌頂が行われる。また大般若も。

これも法事の影響

元禄4年9月20日から21日まで相応寺前神明にて踊りが行われる。例年は15日から16日まで行われるが、法事のため今年は延期されていた。

抜群の連携プレー

元禄4年9月17日。朝、駿河町御門横町の借家から火が燃え上がろうとする。すぐに人が大勢集まり消し止める。

法事も終わったから

元禄4年9月17日。若宮で操りが行われ、演目は自剃弁慶。太夫は笹尾平太夫が務める。

恩赦ですかね

元禄4年9月16日。宰相公(綱誠)が相応寺に参詣する。この日、牢に入っていた9人が許される。そのうちひとりは女であった。

火事を出した時期が悪い

元禄4年9月15日。夕方外が騒々しいからと文左衛門が外に出てみると、炎が乾(北西)の方角に上がっており、その煙が天の川をも隠していた。見に行くと相応寺上野町北側の成瀬隼人正陪臣千田善左衛門の厠が焼けていた。相応寺での法事の時であったので、…

伊勢神宮が有名ですね

元禄4年9月11日。戌の刻(午後7時)、若宮で遷宮(神霊が移すこと)が行われる。本社で普請があるため。

いやいや、本当に大騒ぎの法事だ

元禄4年9月11日。この日からより相応寺において相応院殿の千部法要が行なわれる。16日までで50年忌。御馳走奉行は大寄合長野修理、寄合生駒主計ならびに御国奉行稲葉九郎左衛門が務める。相応院殿とは源慶公(義直)の尊母であった。光友公から相応…

光友公の仰る通りおかしな奴

元禄4年9月。加藤武兵衛子同茂助が江戸より戻った。茂助の向かい町屋では三味線が得意な小左衛門という者が弟子を多く取り、旗本衆の若い者も毎日寄り集まっていた。この者たちが茂助の方を見て指さして笑った。このため、茂助は向かいの町人を呼び、こち…

晒し者のようにしてひどい男だ、七郎左衛門

元禄4年9月。萱屋町東側福沢先右衛門の娘が自害する。この娘は初め千村八郎兵衛の元へ嫁いだが、程なくして離別された。その後、西郷七郎左衛門へ嫁ぐが、また離別された。それを面目なく思ってのこと。元禄4年9月5日、先ず右衛門のところへ女を送り返…