名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

武士の決まり

宝永5年5月29日。
平野彦三郎若党と尾崎重治郎若党がともに斬罪となる。

近頃、高須において荒尾弥市を子の刻(午後11時)に刺し殺した。
これは切腹で武士の決まりで、斬罪であれば親類が迷惑するから。
死体をどこへやったのか誰もわからなかった。
亭主作左衛門は閉門となる。
大崎は罪に問われなかった。
弥市は都合よく切腹仰せ付けられたと。
心のこもった内藤佐平から奈須心庵への手紙を人々に見せたが、これは偽の手紙であった。
これは心庵の弟子飯田立心が企てたことであった。
弥市兄喜右衛門は万三郎様の御用達であったが少し前から引込となっていた。
決着がつき、奉公を憚っていたのを津守様から少しも気にすことはないと仰せ付けられたので勤めに出たが、心がすぐれずしばらく勤めて病気を申し立て、終には馬廻りとなり、表へ戻った。
そして尾張へやって来た。