宝永5年3月18日。
喜子進様が川狩(漁)の前に石山に寄られたところ、小普請近藤惣右衛門と新番近藤文太夫の子で御目見の2人は酒に酔っていたので、喜子進様が来られるとと聞いて寺門前で人止めなどを行い、笠などはとらせた。
喜子進様はお忍びであったので御用達西尾茂助などが気の毒がり、いろいろとごまかして報告すると云々。
この時、成田忠左衛門弟の成田林蔵がこの様子を見ていて、喜子進様から遣わされた木下喜蔵という者だと偽って惣右衛門を送った。
その後、このことで調べがあった。
喜蔵は八三郎の歩行だったので詮議が行われたが、知らないと答えた。
惣右衛門に本物の喜蔵を見せたところこの者ではないと言った。