名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

一体どんなものだろう

文政5年
10月頃からよしこの節という唄が流行り出し、それは二上り(本調子に対して2度高くしたもの)であった。
その後文政8酉年に本調子になり、節も少々変わった。
いつまでも廃れず、騒ぎ歌となった。
都都逸は流行らず、もっぱらこちらであった。
しかし、都都逸も廃れはしなかった。
文政12丑になり、三下りを受け、本調子に合わせて弾く。