2023-08-09 一体どんなものだろう 青窓紀聞 文政5年10月頃からよしこの節という唄が流行り出し、それは二上り(本調子に対して2度高くしたもの)であった。その後文政8酉年に本調子になり、節も少々変わった。いつまでも廃れず、騒ぎ歌となった。都都逸は流行らず、もっぱらこちらであった。しかし、都都逸も廃れはしなかった。文政12丑になり、三下りを受け、本調子に合わせて弾く。