名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

今でも話題になる宗教事件のようですね

文政1年6月6日。
児島備後という者を召し捕らえる。
この者は知多郡名和村の生まれで、生まれながらに小賢しく、いつの間にか高山権現なるものを祭り、家を出て30日、40日と旅をし、高山へ詣でていたと言いふらし、その後は家の中に神祠を作ってまつり、人を集めていた。
やがてその名は広まり、その後よそへも出かけたが、みすぼらしい家ではうまくいかないと空いた春日井郡古井村の八幡宮の社家を相続した。
初めて児島備後と名乗り、仏の教えを広め、加持祈祷をひっきりなしに行った。
その後わけあって古井村の住居から新出来町相応寺より東へ最初の南側へと移り、手を加えた上であの高山権現をまつると賑わいは増し、希有の行者だと言って子どもや婦人まで門前に集まり、一生の禍福を祈った。
賽銭・施物は十分にあったのでますます増長していった。
役所で申し渡された書付の写し。
新出来町西之宮配架 児島備後
この者はたくらみを企て、高山大権現と名付けけたものを家内に置き、あちこちで奥州津軽郡帝釈天、荒高山大権現、特に高山を格別に信心して参詣するように触れ回り、加持祈祷の札を与え、医師の名前や薬の処方を申し聞かせて礼を受取ってはそれで生活していた。
ほかの者が祈祷を行うのを嫌がり、自分の優れたところを見せ、信じさせるためには根も葉もない霊説を聞かせてだまし、奥州高山で見聞きしたと偽っては地獄極楽を描いた懸物をこしらえて諸人に見せ、高山大権現の建設を願い出た。
このたびの吟味の時にも嘘をつくので不届きと重追放を申し付けたところ、清湛院様1回御忌御法会につき中追放を申し付け、他国他領に住むことを禁止する。
6月。