名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-08-09から1日間の記事一覧

昔は横須賀あたりまで鯨が来たんですね

文政5年5月13日。熱田の漁師が横須賀あたりで鯨の子を網で引き上げる。15日、名古屋へ売り払う。

馬の塔って他ではあまり聞かないですね

文政5年5月5日。熱田馬の塔が多くでる。尾頭町・表大瀬古・新やしき・掛町などから本馬を出す。近年まれな華やかな衣装であった。俄馬も多く出る。

好評で延長されたか

文政5年4月21日。この日から大津町下法光寺で三州勝曼寺の霊宝を弘通する。日が延びて5月11日まで。

どうして差し止められた

文政5年3月28日。熱田で新太々神楽が始まる。社家は林靭負。この図が出来上がり、諸国へ広まるも、大宮司家が差し止める。

これも盛大ですね

文政5年3月18日。惣見寺禅堂供養が行われる。辰刻(午前7時)に棟上げ、午刻(午前11時)に入仏の式が行われる。未刻(午後1時)から大施餓鬼が行われる。終わるとなげ餅が行われる。この施餓鬼は他にないほどの大づくりの飾りであった。また放し鳥…

日置山って図によると旅籠町のあたり

文政5年12月21日。夜5半時(午後9時)過ぎ、日置山の紙(上か?)から火が出る。9ツ半(午前1時)頃、鎮火する。

出世する人は違います

文政5年。老中土居大炊頭殿、水野出羽守は1万石ずつ加増される。青山下野守殿も同様であった。側衆林肥後守殿3千石から少し前に7千石になり、今また1万石になり若年寄を仰せ付けられるとか。

自腹をきったのか

文政5年。下条右衛門殿屋敷普請は作事方では上手くいかないので、願により自分普請となる。このため金900両余を拝借する。

そんな日に

文政5年。堀田十郎兵衛殿の小侍が精進日(忌日)に新川で流されて死ぬ。先手組の倅であった。

鳥居の建て替えってあまり聞いたことがない

文政5年。今年の冬、広小路朝日神明宮の華表(鳥居)建て替わる。

一体どんなものだろう

文政5年10月頃からよしこの節という唄が流行り出し、それは二上り(本調子に対して2度高くしたもの)であった。その後文政8酉年に本調子になり、節も少々変わった。いつまでも廃れず、騒ぎ歌となった。都都逸は流行らず、もっぱらこちらであった。しか…

もう少し書くことがありそうだけど

文政5年12月27日。夜4ツ(午後10時)、3分中程度の地震がある。

淡々とした書きっぷり

文政5年12月26日。小さな地震が夜5(午後8時)過ぎにある。

被害はいかに

文政5年12月13日。夜5(午後8時)頃、大きな地震がある。

何で

文政5年。この冬から翌春までに榎多門あたりから北に向けての高塀の腰板が取れる。

こりゃ大賑わい

文政5年11月1日。東本坊棟上略記。祈祷矢は長4間。祈祷弓はこれに準じる。瓶子(へいし、壺)を3飾、もっとも数は6ツ(銀箔置 かごなり(竹組))。斗樽(白木 伊丹樽)を3飾、1飾に3ツずつ。餅は1斗取を3飾、2ツずつ。昆布、大根、長芋、人参…

どれほど大きいのか

文政5年10月。東掛所(東本願寺)にどこの者かが大蝋燭2丁を上げると。塩硝製と。はなはだ難しいと。

どこの稲荷でしょう

文政5年10月19日。今年から稲荷に人が群れ集まり、賑わうようになる。

こりゃ大漁だ

文政5年10月4日。夜、片端東平岩某がいな(鯔、ボラの幼魚)700余を獲る。日置船頭は400ばかり。もう1人は100ばかり獲ると。

これで病気が防げるのか

文政5年10月。上旬、大坂で頓死(急死)が流行る。大坂の焼き場6ヶ所の内1日に達したのは4、5ヶ所所であった。大坂中で1日500人程が死んでいた。ただし、達しとは1日に100人焼くと達しと言っており、99人までは達しではなかった。このため…

何かわけがあるのだろうな

文政5年9月19日。夜、桜の町坂白山の前で女が殺される。切ったのは40才ばかりの村田屋甚八。切られたのは24才の矢場うどん屋の娘さと。甚八は納屋に住んで質屋などをしていたが、仕事に行き詰まり熱田にいた弟のところにやっかいになっていた。