名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

これも今の車の暴走のようです

文政2年11月30日。水野藤兵衛殿中間が借りた馬に乗っていたところ、北へ向かって走り出し、辻番前で野村良吉の長屋の子を蹴り倒す。子は大けがをするが、助かると。

今の時代(2023年2月)と一緒ですね

今年7、8月頃まで(1匁に付)銭118文くらいから120文くらいまでであったが、8月末から段々と値上がりし、11月頃は1匁で103文ほどになった。綿は1両で45、46斤ほど、水(木?)綿は50斤ほどになる。(後略)

弱い者いじめじゃないですか

此節の米相場は1両で1石5斗6升3合換え。古米白は100文ににつき2升。小売の新米白は100文につき2升7夕(合?)。餅米白は100文につき1升6号この通りの相場の為であるので(諸色)値段を引き下げるようにとの御触がある。11月8日よりう…

夢を求めて庶民は群がる

文政2年11月10日。この日から二之宮富突(富くじ)が広井八幡で出張興行を行う。毎回大いに賑わう。

流星ですよね

文政2年10月21日。光り物が西を飛んでいく。

これもお金の匂いが

文政2年10月14日。この日から小湊の貫主が堀川聖運寺で5日間説法がを行う。

工事開始です

文政2年10月5日。清須山王に豊蔵門という神門を建立する。この日は手斧初め。

こういうのは許しましょう

文政2年10月。南寺町光明寺で徳本行者1周忌が行われる。

開帳するとお金が集まる

文政2年9月28日。東寺町妙蓮寺へ小湊誕生寺日蓮上人尊像が到着する。10月1日から13日まで開帳し、大いに賑わう。

これも開帳みたいなもんでしょう

文政2年9月17日。この日から蒲焼町真広寺で甲州杉の御坊御箸杉親鸞聖人尊像幷霊宝を弘通(ぐずう、広める)。

少し生臭い気もしますが

文政2年8月。久屋町1丁目全庵院に金毘羅社を建立する。段々と賑わう。後に秋葉も勧請する(迎える)。

1200年って気が遠くなる

文政2年8月3日。この日から7日の間、福徳村聖徳寺で皇太子(聖徳太子)1200回の開帳が行われる。

これは見ものだな

文政2年7月28日。東懸所へ大虹梁(こうりょう)の樫〔朱書「ケヤキ」〕(長8間(1間は約2メートル、巾4尺(1尺は約30センチ))を堀川の木場から牽く。昨27日、木曽川から堀川へ到着し、東の河岸に上げ、おにから車(おそらくそり)2両に乗せ…

どうしても自分の子がかわいかった

文政2年9月25日。岸上某(山王裏手代)の妻(とよと云)が出斬打首となる。元々岸上某には先妻の娘(みちと云)がいた。この娘の乳母が妾のようになっていたが(打首の当人)、先妻が死んでからは後妻のようになり、男子を1人産んでからは悪事を企み、…

今の軍事訓練ですかね

文政2年8月25日。この日と9月2日に矢田で合図火(のろし)、地雷火(地雷)などあり。

確かにこのあたりは火事が多い、放火か

文政2年8月29日。日の出頃から東小屋でまたまた火事がある。

脱獄したのか

文政2年8月。上旬、高木八郎左衛門殿家来久野屯という者が1両札、5匁札を作り、牢に入る。屯は桑名へ逃げていき、死んでしまったと。その始末をどうしたか分からず。

水野さんは僧が嫌いみたいですね

文政2年8月1日から27日までの間、阿弥陀寺で紀州道成寺本尊の開帳が行われる。縁起(言い伝え)の写。(略)浮屠(僧)の妄説(でたらめな話)は憎むべきもの。

放火をすれば火あぶり

文政2年8月2日。非人清吉が火罪となる。清吉は昨年冬12月末に玄海に火をつけた者である。生まれは岐阜で医者とのこと。辞世の31字あり。もっとも愚拙であるが、身分相応なのでここに記す。年々に ぬすみためたる 芝薪 今朝のあらしに たつた一くべ生…

こういう洒落が庶民の強さ

この頃の大変つくし大雪や 大豊年の 今朝の春 大名衆に たてぬ門松大塔の 地築の音の 長閑さに 大山事の 大寺の加持大騒動 屋根虫のわく 名古屋中 大きにはやる コロリヲツトセ大むかし ゆるきしままの 大地震 大雪に怖る 二タ夜サ

寺の工事で死んでしまうとは悲しい

文政2年7月18日。巾下正覚寺堂の再建の地築棒(地ならしに用いる棒)で、同所の今年6歳になる子どもが突かれて死んでしまう。(朱書)「7月28日、国君(藩主)が御遊船(舟遊び)をなさる。雷鳴があるが、夕方晴れる。」

デマでも群集心理で信じてしまう

文政2年7月16日 五条橋の普請が終わり、この日から通ることが出来るようになる。盆の間も普請は休まず行われた。(朱書)「7月16日毒が降るとの噂があり、人々が恐れる。」

3日間とはおおがかりな

文政2年7月14日、15日、16日。万松寺で宝篋印塔千灯供養が行われる。24日には陀羅尼塔花供養が行われる。

芝居興行ですね

文政2年7月。熱田御芦(みよし)蔵の前というところが大いに賑わい、芝居などが行われる。(朱書)「盆天(御幣)が少々あり。」

当時は避雷針もないしなあ

文政2年6月29日。夜、また大雷。夕6時(午後6時)過ぎから4時(午後10時)過ぎまで。一 桑名町筋、石井九郎左衛門屋敷に1つ落ちる。一 埋御門外御土居の松が傷つく。一 光音寺村田中へ1つ落ちる。一 納屋八角堂へ1つ落ちる。一 保田大船へ1つ落ち…

これはかなりの雷だ

文政2年6月26日。夜5半時(午後9時)頃から大雷鳴、数ヶ所へ落ちる。聞いているところは以下の通り。雷が落ちたところ。一 呉服町京町角、井筒屋伊助(油屋)のところに1つ落ちる。店の者1人は片肌を脱ぎ、1人は丸裸、1人は足をまくっているところ…

わけもなく殺されたか

文政2年6月。山王裏で子ども殺しがある。

命に別状はなかったか

文政2年6月21日。巾下押切十六屋の娘が切られたと。

さすが延期しないと大変なことになったかも

文政2年6月15日。夜9時(午前0時)過ぎると大雷・大雨となり、片端の朝祭は17日になり、若宮御車は18日に曳き渡し、辰巳櫓で御覧になる。天王前で提灯を灯して曳き出し、本町大手を曳き出した時は5時(午前8時)であった。これは珍しいことであ…

家を買うなら熱田神宮のあたりだな

文政2年6月12日。昼8半(午後3時)頃、大地震がある。木々の蝉が鳴き止み、瓦疵(かわらひさし)などは多く落ち、水溜水壁などの水は揺れ出て、小便瓶の小便も揺り出て、東寺町常徳寺の門は倒れる。(朱書)「石塔ならびに石灯籠は多く倒れる。熱田の…