名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

これも用務だそうで

元禄15年6月23日。
文左衛門は政右と用務で白鳥へ出かけ、日暮れ前に帰る。
船で船蔵へ行き、見物する。
北の方は千賀志摩が預かる場所であった。
よし丸が特に大きく、18間(1間は約1,8メートル)に5間もある。
その他に舜光丸、再鷁丸なども美しいものであった。
志摩の祖父が大坂の陣に乗った大坂丸という船もあった。
これも大きく、絵は昔のもので見事であった。
関船の他にも鯨舟なども多くあった。
南の方は六左衛門の預かる場所で川舟であった。
朝日丸、舜林丸などでここでは一々説明はせず。
また材木場の北堀川通りに長久寺雲迢の筆による大宮丸・敬公(義直)の筆による伊国丸ともう1艘、併せて3艘あった。
これは廻船で江戸などと行き来していた。