名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

公開処刑

元禄5年12月11日。
巳の刻(午前9時)、文左衛門は山口善六を誘って広小路にその3人を見物に出かける。
見物人は群れをなしていた。
柱を3本立て、1人ずつ縛りつけ、下にむしろを敷いて西向きにし、神のぼりを挿させて村名と名前を書き付けてあった。
周りに竹垣を結び、代わる代わる番を勤めていた。
南には番所ができていた。
突棒・刺股を立ち並べ、奉行所足軽8,9人が立ち並んでいた。
脇には高札が立っていた。
押荻村惣七・江吉良村三郎左衛門・山崎村新六の3人。
去年の冬、古渡村で大勢を集めて行った博打の首謀者だったので、このようにさらした上で斬罪となった。
一説には、この者たちは贋金を使い、負ければ贋金をつかませ、勝てば本物を取り上げたので罪が重くなったと。