名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

当時の火元の責任はどうだったのだろう

元禄5年9月17日。
文左衛門は若宮へ行き、操りを見物する。
能の演目は兼平。
中入り後茶店で休憩していると、未刻(午後1時)に東方で火事だと騒ぎ始める。
帰ると火はおさまっていた。
清水の側の禅宗久遠寺が焼失する。
隣の庄屋から出火したと。
この時、風がずっと吹いていたが、離れ屋だったので類焼はしなかった。
火元は中村又蔵百姓理助という者であった。