名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ある意味ではおせっかい

元禄5年12月20日。
明け方、星野勘左衛門指矢の弟子柴田平左衛門が下に鎖帷子を着て横井伊織の150石家老田部彦兵衛のところへ押し入る。
この男は桜の町通久屋と鍛冶屋町の間南側に住む浪人でこれまでは鎖をまとい、その上に革の山袴を着ていた。
平左衛門が寝屋へ駆け込み切りつけてくるのを、彦兵衛は起き出して刀をあわせた。
平左衛門は大刀だったが重くてうまく扱えなかった。
彦兵衛は平左衛門を切ろうとするが鎖がじゃまだった。
切りつけることができなかったので突き傷が多かったと。
互いに傷を負い、平左衛門は刀を捨てて逃げ出して途中で3度倒れたと。
渡辺善左のところへと逃げ込んだ。
彦左衛の住まいは呉服町1丁目で井筒屋平兵衛の隣であった。
昔、平左衛門は京に住んでいたが昨年星野勘左について尾張へやって来ていた。
しかし、行いが悪かったので朝倉忠兵衛や彦兵衛などが勘左に内証で京へ追い返そうと相談していたので、この事件がおこったと。
書置きには勘左・忠兵も相手と書かれていたと。