名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どうして助けた犬が復讐する

安永8年(1779年)。
1月。
1月1日、晴天。

5日、巳ノ刻(午前9時)頃、春日井郡下飯田村で火事がある。

7日夜戌ノ刻(午後7時)頃、大きな光り物が東から西へ飛んで行き、その割れる音は雷のようで、東の方から星が落ちてくる。
同じ時、北西の方より星が落ちるとの噂がある。
光り物は星だと。
これは見た者が話してくれたことである。
鳴る音は2度聞こえる。

15日、熱田御神事が行われ、御的に当たる。
昨14日は雨天のため、村々の左義長はこの日に延期される。

18日、申ノ刻(午後3時)頃、高岳院(家康の八男仙千代の菩提寺)前の屋敷で火事がある。

大須境内の女曲持が大入りで、いろいろな落咄(落語)、流行歌を作り、巴勝志という書本にする。

26日より大須門前にて魚細工・開帳仏の見世物が行われ、とても流行る。
鯰橋村源三郎の作で、江戸両国で見せたと。
その際は大評判だったと。

2月。
2月、大森海道(垣外・かいと)村のある禅寺の弟子が、師に金30両を借りたいと頼むが、大金だったので住寺(持)が断ると、師匠に傷を負わせ、金を探している間に師匠が喘ぎながら人殺し、人殺しと叫び始め、騒ぎとなったので金も盗らずに弟子は急いで逃げ出して行方をくらます。
最後に住持は御役所への子細全てを書き残し、夕方に死んでしまうと。

11日より、真福寺村真福寺本尊薬師を開帳する。

同日、成願寺村本尊十一面観音ならびに山田次郎像を開帳する。

18日、辰ノ刻(午前7時)より武平町、中村氏屋敷が火事になる。
石町大黒屋という酒屋の土蔵へ火が燃え入るように見え、蔵を少し壊して見たところ何も変わったとこはなし。
この屋敷は座敷と門が残して側の小借家を壊し、大黒屋は半焼同然となる。
酒桶で水をかけたので奈良漬桶に大分水が入り、酒ならびに奈良漬けが多くだめになる。
酒道具は大分紛失する。

25日、信行院にて無量寿経曼荼羅を一身田より弘通し、若松仙龍寺絵解法談が行われる。

大曽根坂上町の座頭は、女房おさつに道具・金子も返さず、いくら頼んでも返答もしないので、女房は仕方なく座頭の家へやって来て、裏口で首をくくって死んでしまう。
書置1通、また帯には子細を書きつけて死んだので露見し、座頭は竹締めになる。
世話をして座頭に協力したのは御先手組門番で、去年放火し、長らく牢に入っていたが病死する。
火あぶりにはならず、塩漬けの体が磔になり、詳しく札に書いてあると。

西之丸大納言様(十代将軍家治嗣子家基)が去る24日逝去されたので穏便(騒ぎ立てない)が廻る。

29日、町々戸を閉め、売物は出ず、はなはだ厳しい様子だったけれど、3日ほどでさほどでもなくなる。
時節柄、飴の菓子売りは困ると。
声を出して売り歩くことができず、1軒1軒家の中に入って商売をする。

3月。
3月8日、昼過ぎから雲があたり一帯に現れ、少し雷鳴も聞こえるうちに、申ノ刻(午後3時)過ぎ、急に大雨となり、大きな霰が降り、その大きさは提灯ほどに見える。
夜になっても続くが、これは名古屋だけで、周りでは雨の降らないところもある。

穏便は14日まで。
16日よりは普段の通り、普請は8日より許される。

21日、信行院にて千部経が行われる。

4月。
4月、大龍寺、五百羅漢百体成就につき1日より8日まで供養が行われる。

6日、夜子ノ刻(午後11時)過ぎ、伝馬町下ル富沢町西側より出火する。
上は桜之町まで、伝馬町、西は火の見側まで、東は呉服町まで、袋町聞安寺の堂は焼け、飛んだ火で聖徳寺の堂、小見山宗法後ろの蔵に火がつき、それより本町片側、袋町より蒲焼町まで焼け、東は呉服町少し西まで、本重町は伊勢町中ほどまで、袋町はかんつう寺(?、他資料では恩通寺、円輪寺とある)側まで焼ける。
翌朝、5ツ時(午前8時)前頃に鎮火する。

9日、火の元をかなり念入りにするよう触れがある。

13日、夜、大龍寺大施餓鬼が行われ、この供養中に施主が多く現れ、五百体(羅漢)が満願すると。

御祭礼(東照宮)18日に巡行する。
御先乗 大導(道)寺孫蔵、相役忌服。
押乗 蜷川善左衛門、岩田数馬。

5月。
5月4日、殿様(宗睦)が城に到着する。
東海道を通る。

熱田の馬の塔はたくさんで、前津・御器所村より出す。

大須門前へ飴細工がやって来て、木戸銭4文で見せ、12文以上でいろいろな品を売る。

18日、馬の塔がかなり出る。
四観音にも馬がたくさんだと。

先月の火事の際に大光寺和尚の身持ちが良くないことが露見し、寺を追放となる。
ただし欠落(かけおち、行方不明)で済ませる。
前津に囲った女がおり、子ども2人もいたことなどで如く。

6月。
6月1日より柳薬師を夜開帳し、庚申を夜開帳する。
飴細工が辻売りに現れる。
桑名町の天王祭に子ども曲馬の真似をする。
見物人が多くある。
伏見町で俄狂言が行われ、その他もとても賑わい、裏町あたりでは作り物が多くある。

13日、14日、源孝様(宗睦長子治休)七回忌の法事が行われ、若宮祭の曳き始めが延期される。
その他あちこちの祭はこの夜行われる。

若宮神前へ、五味氏稽古場より鎧の奉納がある。

玉屋町の車は火事で傷つき、この年から10年休止したいと願い上げたが叶わず、6年の間休止する。

17日、押切祭にいりいろな作り物が出て、中にはお伊世(御伊勢・笈瀬)川に筵で山を作り、鯉の瀧登りを作ったものがある。

当年、津嶋参りの旅人がとても多く、8万人ほどあると。

勝川にて、関東者1人が船に乗らずに渡っていて流れ死ぬ。
渡し守が銭を吹っ掛けたため。かなり難しい問題になると。

大須の芝居に芳沢いろは・尾上新七がやって来て繁盛する。

久屋町誓願寺あたりの18歳になる男が日頃念仏を怠らずに唱えていたところ病気となり、そこへ僧1人がやって来て、日頃唱えていた念仏で往生するのは決まっていると言って行方をくらます。
この男がますます念仏を唱えているうちに、目は潰れ、物も言わず、食も摂らず、2日ほどして目を開き、極楽の様子を母に語って死んだとの噂がある。

25日、昼過ぎより雨が降り、夜に入って雷が激しく、高須賀あたり、丸米野あたりの田に落ちると。

28日、御上使がある。
万寺町の肝煎が昨夜犬が咬みあっているのを見て、組み伏せられた犬を助けて犬を追い払ったところ、この日、本町へ御用で出かけるため伝馬町の御園町角までやって来ると、昨夜助けた犬がくわえて止め、いろいろまといつくと、この男は犬好きだったので犬の引くに任せて家へ帰ったところ、急に死んでしまう。
珍しいことだと噂する。

26日より、風が吹き、雲が騒いで気がかりであり、毎日雲が西へ飛んで行き、日が照りながらひとしきり雨が降り続いており不快である。

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