名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

この時代の犬は今のペットの犬とは全然違うのだろうな

安永7年(1778年)
閏7月。
先月、濃州大垣領は洪水で、盆の間精霊祭が行えなかったが、13日より盆の行事を行う予定である。

世間では犬が人に咬みついているようで、病気の犬が多い。
小林のあたりに犬がたくさんいる。
犬殺しには病気の犬に限らず見つけ次第殺すようにとのことで、1日に8頭ほど狩るところもある。
このことは御家中にも触れが廻り、飼い犬であっても問題のある犬は追い出し、狩らせるようにと。
また、飼い犬であっても繋いでおき、もし綱がほどけて逃げた場合は狩らせるとの触れがあり、近頃、伝馬橋裏あたりでは、集められた犬を犬殺しに突かせるのは不憫だと思い、町内で銭を集め、犬16頭を篠島に送ると。

熱田御葭の作り物をあまりにたくさん拵えたので、鞍馬山・唐獅子など灯すことができず、役所への願いを終えないうちに出したので、閉門のように葭簀で隠す。

15日、同所御葭では海上で花火が行われる。

17日、夜より加茂の競馬の灯し物が出る。

20日より22日まで、広小路にて上宿の放火犯がさらされる。

21日、朝4ツ(午前10時)前より雷が鳴り、夕方まで大きな雷が4度ある。
朝に間は激しく、御豊生(豊穣か)蔵門前の松の木に落ちると。
また、笠寺あたり、三ツ蔵のあたり、清寿院裏などへ落ちると。
近年まれな激しい雷雨である。
どこでもこの4ツ(午前10時)は雷雨が激しいと。

この夜、熱田御葭の小屋掛けの作り物などは片付けるよう役人が廻り、小屋掛け・山形ちなど残らず壊し、火で焼き捨て、夜中に大勢で何とか片付けると。
提灯・行灯だけで祭ると。

23日、火あぶりが行われる。
上宿御深井(おふけ)門番の母りんという者で、年は40ばかり。
子には何もお咎めなしと。

晦日(30日)より彼岸の間、前津小林長松院にて川名村香積院和尚が法華垂戒を行い、これは本堂建立の寄進のため。

8月。
8月1日より14日まで、大津町下勝鬘寺にて三州針崎勝鬘寺柳堂流涙弥陀ならびに宝物を弘通する。

8日、風が強く、夜になると暴風のようになる。
しかし、被害はなし。
夜が更けて、熱田尾頭町で出火し、東側ばかり5軒が焼ける。
ただし、極楽屋の南まで焼け、高倉前の小橋の側の松1本が焼失する。
この夜、強風の中での火事だったので近辺は大騒ぎとなる。

この秋、中嶋郡の村々で痢病が流行し、死者が多く出る。

笠寺あたりの村々では世間並みに祭や狂言が多く行われると。

上畠裏、信行院にて、一身田からの大経(無量寿経)の曼荼羅を開帳する。
一身田より勢州若松千龍寺恵翁法信という説法上手がやって来る。
3日より17日まで説法を行い、その後東武(江戸)へ下る。

日置の白山社頭拝殿が再建する。

15日、この白山では移徙(わたまし、引っ越し)を行う前から酒を往来の者に施す。

信行院の法談に参詣の者がたくさん集まったので25日まで延長し、200文で曼荼羅を絵解きする。
25日は、参詣の人が堂に入りきらず椽側まで人があふれ、去年開帳のときのような賑わいである。

28日、橘町妙善多羅鐘楼堂の上棟供養ならびに説法が行われる。

桑名町福泉寺観音堂を曳き、当分西奥の方になる。

熱田高倉宮の遷宮が行われ、社の屋根の作事を少し行う。

9月。
9月、御簾中様(宗睦夫人好君・近衛内前妹)が先月28日逝去なされ、穏便(騒ぎ立てない)の触れが2日に廻る。

4日、各月番は御老中宅へ出向くよう3日に触れがあり、御家中では月代(さかやき)を剃り、町々の商人・職人が売物を売り歩くことは許される。
魚売りはやって来ず、猟は止められる。

5日、巳の刻(午前9時)過ぎ、魚の棚本町角の竈の傍らに鼠の穴があり、そこから火が燃え出て、家中一面が火に包まれたところを何とか消し止めると、特に穏便中のことで大騒ぎとなる。
6日より普請が許される。
御簾中様の遺体がこの表(名古屋)に着棺し、葬送の当日ならびに法事中は普請を止めるよう触れが廻る。

6日、7日、急に冬のようになり、霜が降りる。

13日、未の刻(午後1時)、志水町坂下で出火し、下は寺の少し上までの両側、上は八王子社側まで片側が焼ける。
初めは北風、その後風向きが変わって吹き荒れ、周りに広がると。
燃え広がるのが止まったのは鍋屋と酒屋の土蔵で、6ツ(午後6時)頃、火が鎮まる。
火消役の中には怪我人が多く出ると。
鍋屋と酒屋は急に金持ちになった者である。
酒蔵2つに火が燃え入り、焼失する。
夜5ツ(午後8時)頃、鎮火する。
米屋伝三郎の隠居家は土蔵だけが残る。
火元の鍛冶屋はこれで3度目の火元とのことで、以後ここを追い出すと噂する。

御簾中様の遺体が着棺の際は、道筋近辺へ下々に到るまで出かけないよう、御用の他は絶対に出かけないようにと。

28日、着棺する。
木曽路を通り、志水口との噂もあったが枇杷島へ廻り、京町筋より建中寺(尾張家菩提寺)へ入られ、この道筋では朝から人の通行を止め、立町は杉の町より上で昼以後人の通行を止める。
夜5ツ(午後8時)頃、着棺する。

29日、葬送は来月1日に行われ、この日は旅の休息にあたると。
町々で増番・立番、火の元廻りなどがある。

この頃、大須観音堂へ奉納の絵馬は次の如く。
板には、さつまいもは痰の妙薬とある。
ただし、熊のゐ(肝)とは食い合わせと墨で書いてある。
年号月日。

10月。
10月2日より、転陵院様(前出宗睦夫人)の法事が行われる。
2日、辰の刻(午前7時)に始まり、最終日は卯の刻(午前5時)始まると、寺詰があり、町々には増番、火の元廻りなどもある。

5日は、中将様(宗睦三男治行)よりも法事を仰せ付けられたので寺詰があり、辰の刻(午前7時)に始まり、熨斗目を着用する。

6日、両殿様(宗睦・治行)へ法事を終えた後に御機嫌伺えを行うので、月番御老中宅へ出向くこと。

中将様への御機嫌伺は鈴木千七郎宅へ出向くはずであったが、急に変更となり、月番御老中宅にて両殿様への御機嫌伺を済ませる。
5日夜、急に連絡が入る。

この度、鈴木千七郎は御側御用人を仰せ付けられる。
中将様の御名代として江戸へ上るはずである。

14日、15日、桑名町福泉寺戸隠祭が延期される。
14日、試楽が行われ、東天道町天通寺もこれと同様。

公儀へ長崎奉行より馬と犬を献上する。
朝鮮の馬だと。
21日、本町を通り、宮駅に泊る。

11月。
11月、火事の噂が頻繁にあり、その上いろいろ怪しげなこともあるとのことで、それぞれが厳しく用心する。

17日より、大須境内へ大坂から江戸へ向かう女曲持太夫柳川友世がやって来て繁盛する。
同門前では曲馬太夫樋口亀松、その他乗人4、5人、甚三郎という6才の子どもが曲乗をする。
大評判となる。
6人乗りを行う。

池田町の町家が残らず焼失し、屋敷方の門が1ケ所焼ける。
また、13歳になる者が土蔵の戸を開けると中に入り、大怪我をして3日目に死んでしまう。
この頃、いろいろな噂がある。

伊豆大嶋が去る7月より今に至るまで毎日噴火すると。
東海道箱根より先は夜中でも明るく、提灯は必要ないと。
江戸表でも噴火が見えると。
殿様は御覧になると。
また、三州でも杉の木が焼けると。

29日、午ノ刻(午前11時)、広井戸田道の西北、江川筋荢屋(おや、芋を売る店)伝右衛門借家の長四郎という者の家より出火し、屋敷内の全てが残らず焼ける。
ただし、西南の方にて3、4軒が残る。
戸田道は塩屋土蔵の側まで、蓮華寺は焼失し、この向かいの南側は残らず、下納屋表町2、3軒が焼け、死人も出る。
また、駆けつけた者の中にも死人・怪我人がたくさんいる。
夜になる頃にはようやく鎮火する。
先月、ここの塩屋隠居家の屋根に煙が急に立ち昇る。
近所に井戸普請の日雇が居合わせ、消し止めて火事にはならず。
その日、門前町にも火事の噂で騒ぎになる。
先月塩屋隠居家に煙が立ち昇ったのもこの日で、日にちも時間も同じともっぱら噂する。

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