天保6年。
一 4月13日、濃州笠松、御家、高須が三か所が支配する杁(桶門)が抜けて(決壊)大洪水となり、笠松で拵えた杁は私欲に走るものが多かったので崩れたのではとこの度この杁下の村々の百姓が徒党を組み、笠松の庄屋を打ち壊したのは4、5千人と。
この洪水のため笠松御代官野田斧吉が庄屋のところへ滞在しており、高須から様子を聞きに来たところこの騒動になる。
末に詳しくある。
一 4月27日暁九半時(午前1時)、東枇杷島たばこ屋から火が出る。
11軒が焼失する。
舛彦で留まる。
たばこ店の明かりを消したほくそ(火糞、ろうそくの燃えがら)から火が出ると。
一 5月6日、玄海で火事がある。
三分の一ほど焼失する。
夜九時(午前0時)過ぎ。
一 6月6日、大雨で洪水となり、水位は6合6勺。
同9日、また少々洪水となる。
一 同26日夜四時(午後10時)過ぎ、かなりの大地震がある。
天保6乙未年3月、御本丸御金蔵の矢尻(家尻、裏手)を開けて盗賊が入り、2朱金で250両が盗まれたので何度も詮議するも一向にわからなかったところ、10日ほど過ぎてこの御金蔵の裏の御堀の中に水死人があり、引き上げたところ紺の袷着に紺の足袋をはき、腰の廻りに25両を包み、その上木綿に包んでしっかりと結び付けてあった。
間違いなく御金を持ち出した盗賊で、御堀に滑り落ちたように見えると。
この裏手の開けた場所は特に丈夫に拵えてあり、中に鉄をはめ、厚板を張ってあったので2日、3日では開けることができず、しばらくかけて開けたように見えると。
天罰からは逃げられなかったと。
このあたりの勤番が話していたことである。
10日も過ぎていたので顔はわからず、髪の様子は30才あまりに見える。
御蔵御番人も揚り屋に入ると。
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