名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

なぜ腹を切ってしまった

天保6年。
一 1月1日晴天。

一 2月初、矢場小畑源次郎奥方の密夫とのことで、宮孫倅の橘町裏鰻屋萬五郎の男根の毛を焼き、大いに爛れて死んでしまうと。
この奥方も少々焼かれる。

一 2月11日夜、桑名の富に出かけて帰る際、急な風に出くわし、古保田のあたりで3人水死し、1人は長者町下、1人は昨年秋までは本重町(朱書)に住んでおり今は鶴重町、1人は裏町の者である。

一 2月23日明け方七時(午前4時)過ぎ、堅代官町月ヶ瀬善左衛門屋敷から火が出る。
内藤魁之助・河内只右衛門は丸焼けとなる。
細野松之進は長屋が焼け、湯本又四郎高塀が少し焼ける。
その他に被害はなく、六時(午前6時)前に鎮火する。

一 2月16日暁、本重町筋長島町東へ入るところに、尾崎又六の草履取、侍を殺して菰にのせてある。
殺した者はわからず。

一 倹約がゆるみ、その他この頃のことを入れた狂詩がある。
(詩略)

一 2月、桜之町筋久屋町と鍛冶屋町の間の道具屋の妻が夫の道楽を意見するも聞き入れないので親のところへ行ったところ、夫の道楽であっても女房から暇をくれと言うのは不埒だと親は言って相手にせず。
このため夫の家に行って立派に腹を切ると。
女の切腹は珍しい、珍しい。

一 3月18日、一行院において水谷助六追善の古物会が行われる。

一 2月17日から3月21日まで、七寺において小松寺菅丞相御作の観音を開帳する。
重盛公尊像、宝物を弘通する。

一 3月6日、御厄開の御触があり、新御殿で終える。

一 4月5日、巾下隅田町で1日の花角力の興業が行われる。

一 4月14日雨天。
15日、車引初を終える。
17日朝曇、五時(午前8時)頃から小雨、八半(午後3時)にかなり雨が降る。
引き出しは六半時(午後7時)でとても見栄えがよくない。
昨年唐人が死んだので御園御門のあたりは大事に引いていき、かなり遅い。

一 
4月18日、雨中の九時(午後0時)過ぎ、桶屋町一ム(無)寺教授寺が火事となる。庫裡から火が出て、住持兄弟3人はそろって芝居見物に出かけ、庫裡の者は外の長屋へ話に出かけており、丸焼けとなる。
門と太鼓堂は焼けずに残る。
本尊も焼けると云々。

一 4月19日、橘町の子ども芝居の木戸で宮木百太郎が母と一緒に入ろうとしたところ、立マイ(木戸番)が百太郎を留めたので脇差を抜いて立マイの眉間を切り、大騒動となり、召し捕らえられると。

一 4月23日から5月15日まで、玉屋町理相寺で一条殿御祈願所葉栗山環城寺宝物、祖師聖人旅姿御木像、聖徳太子御自作御木像、天照太神宮、春日八幡御神体、蝮蛇済度、ア(阿)汐如来御木像、仏鬼両身曼荼羅、その他数多く弘通する。

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