天保5年。
一 3月27日出発した関東からの帰路、東本願寺門主へ疑念同行からの伺書の写。
一 御嶽宿において、寺社・御勘定奉行へ、御門主から差し出した状の写。
一 懸所において、御門主から疑念同行へ直接話された内容の二ケ条の写。
一 同所において、下間式部卿から八郡取り持ちの同行へ話された内容の写。
関東で御門主へ伺った願いの写。
演説の趣。
今のたびの御立寄は旧例の通りと言いつけられ、昨年冬に即現寺殿から尾張藩に願い出られたが、御立寄は旧例といっても参向には定めがあり、御坊所御肝煎へ諸講中から願い出てから御立寄るのが定である。
そうでありながら、今回肝煎は休役中であり、諸講中何も指示がないのに国へ願い出るとは無理やりの御立寄にあたる。
これは旧例をもおろそかにしている。
これらの行いは日ごろ教示する趣意や掟にも背くことと思われる。
このことは一同よく心得、思いとどまることを願う。
この一条は1月16日即現寺殿と掛け合い、申し伝えたことである。
そして同人はよく承知のことである。
このため御立寄ことは諸講中始め国中の疑念方からは願い上げたものではなく、嘉平治、戸之右衛門のところから願い出たことなので、今のようにふたつに別れているうちは一方の願いだけに応じて無理に御立寄では、日ごろの一派は平等であるとの慈悲深い考えに合うものであろうか。
思いとどまることを願う。
一 一昨年易行院の意向で御立寄、御化導(善に導くこと)を伝えられた。
その際に騒ぎの最中に御立寄になられてはきちんと歓迎や接待が行えず、日ごろの考えとも相違しており難しいことと願書をもって申し上げたが、その後思いとどまることもなく、騒ぎもおさまっておらず、この騒乱の最中に御立寄となってはこれまた日頃の教えにも背いている。
このため思いとどまることを願いあげる。
一 今度御立寄の上、2、3日御逗留、御化導なさると以前尾張藩から示されている。
今度御逗留し、御化導なさるのは有難いことであるけれど、日頃の御化導の考えに背き、重ね重ね嘆かわしいことと思われる。
釈尊出世の本懐(本意)である真実経を説かれるべきで、方便経を月が出るまでの暇つぶしに説くべきだろうか。
真実経を受けるべき時が熟したためとも聞いている。
仏の説教でさえも時期というものを考える。
しかるに今度の御立寄は国中の騒ぎの中、大切な万代不易の御化導さえも行えないような中で御立寄、御化導なさるのは以前の御化導に背くものである。
思いとどまれることを願いあげる。
一 先ごろ下向の際は尾張藩の警固で無事通行できありがたく思っている。
これは尾張藩のひとかたならぬ苦労のおかげである。
このように尾張藩の威光で通行でき、仏の威光がなかろうとも善知識様(高徳な僧)の本意であろう。
これまた思いとどまれるよう願いあげる。
一 御立寄の儀は、双方騒乱の最中につき御城下の法中へ相談があり、法中一同で相談の上、御立寄を見合わても仕方ないと伝えたところ、嘉平治方の同行が申し立てたのは、もし御立寄もなく、御化導なされないのは嘆かわしいと、疑念方は御立寄を妨害するなどと言い張るが、門徒たるもの国元にいながら御化導にあずかるのは生涯の本望なのそのようなことは心底ありません。
しかし、無理に御立寄になられては、先ほど申し上げた通り国中騒乱の中であり、尾張藩からも強く内々に命じられており、それを少しも気にもかけずに御立寄なされては御書(教書)の御化導とは言い難いので、大切な御書次々に差し出すこととなります。
あるいは転派や改宗などの願いが出ることになるかもかもしれません。
仮に御立寄、御化導がなされなくても行われなくても、子々孫々には嘆かわしけれど、御化導なされなかったことは承知していたと伝えます。
よって御立寄の儀はよく考えていただくよう申し上げる。
一 尾張藩の恩はかたじけないことと仰せであるにも関わらず、疑念のことは本山だけでは如何ともしがたく尾張藩の吟味となり、昨年冬早く解決するよう松井殿から尾張藩へ願い出るも尾張藩ではかなり苦労しており、それのみならず不平のある中無理に通行し、道筋でかなり苦労するのは国の恩がかたじけないことを忘れているのかと思われる。
申し上げた通り、恐れながら御宗意や御掟に背き、その上4年にも及ぶ一件も早く片付けるようにとの諭されても聞き入れず、常々聞かされる教えの無常迅速の命(あっという間に終わってしまう人生)、呼吸の息の間もつかの間、露の命など全くわかっていない。
かれこれ不明な件を速やかに解決できるよう諭されること深く嘆き申し上げる。
巳三月廿七日午刻下脚江戸御道中まで出立。
疑念同行惣代。
御嶽宿において両奉行へ差し出された書付の写。
この度の名古屋懸所への新門主立寄について、門主は当宿から直ちに岐阜懸所へ向かうつもりだ相談していたところ、あれこれと差支えがあるので新門主が岐阜へ向かい、、我等門主は名古屋懸所へ立ち寄り、かねて門徒どもから種々申し立てのある化導を行うつもりであるので門徒どもへは篤と諭しておくよう申し入れたところ、立ち寄られた上でもし病気などになり、化導は後で行うなどと申し聞かせれば、かえって混乱して諭すのが難しくなるというのはもっともなことである。
懸所へ到着した上で万一病気にでもなろうなら回復するのを待って化導を行うことになるので、このことを承知し、承知しない門徒どもには納得させてほしい。
このことに違約することはないので各安堵するように。
以上。
巳四月 東門主。
兼松又兵衛殿。
碓氷清八郎殿。
4月15日日体面所において、疑念惣代14人の輩へ御門主から直々申し聞かされた相談は次の如し。
当懸所の再建は容易ならざることであった。
誠に以前にも勝る大堂が速やかに出来上がったことは素晴らしい志の表れだと深く満足している。
今度の本山での取締筋でのいろいろな申し立ても、全く一門の思いの表れであり、この度つぶさに聞き及んだ。
これほど大ごととは思っていなかった。
これらいろいろなことをつぶさに承らなかったのは役人どもの不行届きが原因だと思う。
このため、通り行く尾張藩への義理に関係なく、世間や他宗へ大師の恥辱も関係なくこの懸所へ立ち寄ったのは、誰をも見捨てるつもりはないからである。
また製作書(教書)と自分の心は一致しているが、製作書と指向(行い)が違うのは全く自分の不肖であると嘆くばかりである。
その他いろいろ諭すことも、旅の途中であるので帰京の上で急いで取り調べ、それぞれ申し付ける。
それぞれが法義を喜びをもって広めることをひとえにお願いする。
なお、いろいろと預かって持ち帰り、とくと熟覧の上吟味することとする。
一 なおまた疑念中から七ケ条の内、不明なことがあるので次の通り直ちに申し聞かせる。
当懸所の再建は容易ならざることであった。
門徒の格別の努力で以前にも勝る大堂が速やかに出来上がり、素晴らしい志の表れであると深く満足している。
また本山取締の儀でも思いは十分に伝わっている。
さて制作(教書)の趣意と2ケ所の不明点について聞き及んだので、尾張藩や他宗に対しての恥辱に関係なく立ち寄ったのは、誰も見捨てるつもりがないからである。
また民が騒ぎ立てるのも捨て置きがたい。
このことから立ち寄ったことは自分の考えと製作(教義)が一致しているからである。
また3、4年申し立てている件についてはこれまで知らず、つぶさに聞き及ばなかったのは役人の不行届きである。
製作(教義)の趣意と指向(行い)に齟齬があり、ここまでになってしまったのは自分の不肖であると恥じ、嘆くよりほかない。
また申し立ての件は旅の途中なので、帰京の上直ぐに調べる。
この度の苦慮を深くくみ取り、察してくれるようひとえに頼む。
書付の類で上げられた一覧は預かり置き、熟覧する。
ここでは多くを申し上げる。
数々承った趣には深く満足する。
一宗の流れをくむ門徒に区別はない。
多くは承知しなかったことなので、この上はいずれの中からも法義を受け継ぎ、後世の一大事を取り損ねないようにし、仏恩報謝の称名をしっかり行うことが何より肝心である。
四月十五日午上刻。
疑念門徒惣代。
伝馬町 玉井屋卯右衛門。
中市場町 藤屋伊助。
枇杷島 菊屋長八。
〃 中野屋新兵衛。
熱田羽生 孫八。
〃 善九郎。
〃 新蔵。
〃 忠兵衛。
熱田新田八九割 忠八。
津島村 甚八。
古渡村 米屋長七。
〃 板屋弥兵衛。
〃 米屋長八。
飯田町 美濃屋久平。
各々へ。
同日柳之間において八郡取持の同行どもへ下間式部卿から次の通り勅命を申し渡す。
この度当懸所へ立ち寄ることは、私たちそれぞれの考えがあり、遅くなったが強く願い出たので立ち寄ることができ、この上は法義を受け継ぎ、一門ひとつとなって執り行い、仏恩報謝の称名をしかり行うことが肝心である。
四月十五日未半刻。
世話方同行中へ。
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