名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

門主が名古屋に立ち寄るかで大騒ぎ

天保4年。
一 正月寺社奉行から東懸所へ話された写し。
東本願寺懸所 輪番へ。
この春、両御門主が関東へ参向し、帰路で懸所へ立ち寄り、2、3日逗留することは旧例の通りで懸所にまかせると伝えたところであるが、騒気の一件がいまだ決着していないので、場合によっては愚かな門徒どもが評判に悪影響があるのではと当方も心配しており、既に京都において門主が江戸を発ち、懸所に立ち寄ることも伝えられたと承っている。
いずれにしても騒気の門徒どもからあれこれ申し立てるようでもある。
しかし、近頃別紙の通り伝えたからには、この申し立てのことはしっかりと諭し、その上心得違いの者があればいずれにしても取り押さえるのであるが、万一その上でも何かあり、御門主の評判に関わることが起きては気の毒であり、それのみならず騒気をおさめるにも差しさわり、御門主がますます苦慮するようなことになっては本山は䤁酌(熟慮)しなければならないと思われる。
特に騒気の一件は当方だけは一通り吟味が終わり、本山での吟味は今度重役と相談したので、本山で早速吟味の上、報告があれば落着となるので、そうなれば参向の儀はこの一件が落着となれば落ち着くのではなかろうか。
もしまた延期しがたいようなわけがあれば、参向の儀は騒気と関係はないが、この通り不平の中での御領分の通行について心得ておくべきだと思われる。
このようなこともあるので懸所へ立ち寄り、逗留することはいずれにしても五件落着までは逗留の儀はいずれにしても一件落着までよく考えるべきことではなかとうか。
これらは無理強いするものではなく、気にかけておいていただければと。
正月。
疑念門徒惣代。
伝馬町 新右衛門。
飯田町 久平。
市場町 伊助。
枇杷島 長八。
同 新兵衛。
古渡村 弥兵衛。
同 長七。
熱田羽城 善九郎。
同 新蔵。
同 忠兵衛。
熱田新田八九割 忠八。
津島村 甚八
古渡村 長八。
東本願寺の両門主が当春関東へ参向の帰路、懸所へ立ち寄ることを承り、この参向の儀は騒気の一件がおさまるまで延期するよう申し立てが、この参向の儀は公儀の勤めであり、御家から差し止めることはできないことである。
特に大会(大法会)執行の儀もこの一件吟味中のため見合わせられ、全て旧例の通り新規の儀がないのであれば断るようなものではなく、もし他国からやって来てそのついでに当懸所へ立ち寄ることであればこれは断るべきであると思われるが、公儀の事であるのでそちらが何申し立てっても断るような筋ではない。
もっとも門主も一件落着の上で出発することが望みであろうが、これまた公儀を尊重して大会執行を延期され、やむなくこの節下向されると察せられる。
疑念の一件も門主の為になると一途に思ってのことではなかろうか。
そうすると下向も延期され、もし公儀の責任となっては表向きはためにならないことではないだろうか。
よって両門主が関東参向の帰路の際に旧例の通り懸所へ立ち寄り、2、3日逗留するとの申し立てについては任せることにすると伝える。
騒気の一件は未だ落着していないので、内々に輪番に申し含ませることもあり、とりたてて申し聞かせる。
よって差し出した願い書59枚は差し戻す。
正月19日。
近頃、御門主様関東参向の儀は延期しがたいことである。
御参向出発の儀は前もって疑念惣代へとくと処分することを伝えたところ、京坂惣代講中が名古屋から戻り、疑念惣代と対談したところとても穏やかにおさまったと大蔵卿は聞くに及び、輪番西宗寺仕埋使僧即現寺松井典膳などへ確認せず、そのまま御参向出発してもよいと申し上げたのは全て大蔵卿の不始末である。
このため帰洛の上、厳しく処分する考えであるので、疑念同行へ帰洛の上処分を待ち、処分があることを伝える。
2月。
このことで大蔵卿は御目通りを控えて御供をするようにと処分が下ると。
元来御門主は名古屋の騒動ことをご存じなく、四日市で知って驚き仰天されると。
前の顕(願カ)付は吉田駅から名古屋懸所へ来る。
御文。
(略)
一 4月6日、御門主は太田に泊り、11日まで逗留する。
このため疑念方、騒気方が2万人ほど集まり、大騒動となる。
8日寺社奉行兼松又兵衛・御勘定奉行碓氷清八郎、その他下役もたくさん集まる。
同12日、御門主が立ち寄り、新門主は立ち寄りはなく、この一件のためいろいろ騒々しく、15日に疑念方・騒気方を諭し、一件落着し、16日出発する。

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