名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

お金はちゃんと払わないと

天保2年。
9月15日から10月16日まで、甚目寺開山堂において信州元善光寺一体分身如来、その他宝物を弘通する。
大いに賑わう。

10月19日から11月3日まで、開山堂と同じ宝物を巾下虎薬師で開帳し、これまた大いに賑わう。

10月2日から同15日まで、清須本成寺において寂光山勝鬘寺善光寺一体分身如来、柳堂涙流弥陀、その他宝物を弘通する。

9月、鷹司関白様の息女有君様が西丸へ輿入れのため木曽路を通行されるので、領内の道筋の宿では豪華な食事を先例の通り用意したところ、御供の御目付加藤修理は支払いにいろいろ粗相があると。
そのため木曽路の代官斎藤弥五六ではひどいこと対応であったと。
その他諸役人は意地になり、あるいは仕事を休み、いろいろと駆け引きを行うと。
その後10月に江戸表から二十四時(1時は2時間)の早便で何か言ってくると。
そのためこれに関係した役人は残らず差扣(謹慎)を仰せ付けられ、御船奉行千賀志摩殿、御作事奉行山田惣兵衛は御役儀御免を仰せ付けられる。
評判では、
こし細の有君様の御通りて宿々さしてこまる役人。
御褒美も有君様と思ひしに千賀ないとてあたま惣兵衛。
山田なる惣兵か身こそかなしけれ役上られてとふ人もなし。
この御供の御老女衆花園殿という者は、今春日と言われて大変な権勢だと。
京の地で三位を仰せ付けられると。

11月22日から同28日まで、栄国寺において信州伊奈郡座光寺元善光寺如来権現ならびに臼の御座を開帳する。

11月頃、東懸所の羽城同行を始め諸同行が疑念方、騒気方だと大いにもめ、ふたつに別れて争いとなる。
毎日のように寺社役所へ千人、二千人と大勢が集まり、門前のあたりにはうどん屋、醴(甘酒)屋が数多く出る。
この春から三猿物語という写本が出て、このことを詳しく書いた本である。
この一件は一朝一夕のことではないと。
はなはだ不快である。
歌に、
極楽は西にありとハしらすして東取もつたハけ同行。
この後段々とこじれていく。
なお後に記す。

12月20日、湯本兵右衛門小十という人が立ち去る。
上畠町銭屋清左衛門のところで正金30両を札と引き替えようとし、札を請け取って正金を奪い取り、外へ出たところを清左衛門ならびに倅清七の両人で引き捕えようとしたので刀で手傷を負わせ逃げ去ると。
その後に取り落としたものがあったので露顕すると。

酌女や芸妓については先年から禁止としたが、内緒で行う者が絶えず、この度12月中旬にこのような者13人がまたまた閉門を仰せ付けられる。
上町向かいの輩と。
前津下屋敷へ出向くことから露顕すると。

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