文政13年。
江戸よりやって来た簡の写し。
久世鎌吉へ国元下総国関宿から申して来た書付。
当8月1日の夜から、領内の寺々で石塔を磨く者がいる。
何者の仕業かは分からず、2、3日頃には昼間も磨くと。
昼夜にいくつかの寺で磨くわけではなく、数百本の石塔を一度に磨くと。
その音がこうこうと聞こえるが、人目にはつかず。
石塔は奇麗になり、その上朱墨も入れ替えることもあり、あたりには足跡もなく、なかなか怪しいことである。
知らされていなかったので御上に訴えたところ、観音寺・極楽寺にも石碑があったので御中小姓、その他外廻り方が捕まえるために詰切(常駐)の番を仰せ付けらる。
この磨かれた石塔を見物するために老若男女が群れ集まる。
結城御山・関宿の方から段々と廻り、この時には下館へやって来て磨くと。
関宿では磨いているのを見つけて追いかけたところ女のようであったと。
その足がとても速くて見失い、追いかけた5人の中ではいつの間にか髪を切られ、3人は散切になると。
あまりに珍しいことなので申し上げる。
石塔のことをこの時上州桐生から江戸へやって来た者に聞いたところ間違いなく、この男も磨いた石塔を見たと。
足利あたりでも時々あると。
しかし関宿から届いた書面では寺の石塔を全て磨いたように見受けられるが、そうではなく1つの寺で2、3本ずつを磨くと。
その磨かれた家では必ず凶事が起こるので嫌がると。
そんあことなのか。
今まで聞いたことのない珍事である。
この通り、永井篤左衛門のところから申し来る。
尾藩でも冬になると石塔を磨くとの噂ばかり。
確かなことではないけれど、名古屋のあちこちで噂となり、堀川聖運寺(以下書かず)。
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