名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

311両といえば大金

文政13年。
4月(朱書、6月10日頃だと)鳴海あたりで三度飛脚(月3回江戸と大坂を往復した飛脚)の宰領を殺して大金(朱書、311両)を奪った者の仲間は2人だと。
大濱の茶屋で朝の食事をし(これは殺した朝の早朝だと)、焦っていたのか値段も聞かずに南鐐(二朱銀)1つを置いて足早に行ってしまったので、茶屋の女房がこの2人は飯代も払わずに行ってしまったのかとつぶやき、見れば南鐐1つが置いてあったので亭主に話すと、亭主は犬被者(間者)であったので聞くといいや、この者は只者ではないのでと陣屋へ駆けつけ(朱書、陣屋の同心は吟味のため出かける途中でこの亭主に会ったのでなおさら早く出発したと)、同心などは亭主と一緒に亀崎の方へ出かけて船乗場で船を吟味すると、既に朝から船は次々と出てしまっていたので分からないと。
早く出て行った船はこれこれするうちに次々と帰ってくるはずだと言うので、仕方なく様子を伺っていると、一番船が帰ってきたので船頭に尋ねたところ、それらしき者たちが渡し賃1両で誰も乗せずに大急ぎで船を出したと答えたので、船賃は法外な上、見た目も間違いなかったので直ぐにその船に同心・亭主が乗って船を出し、さらに様子を尋ねると大湊に上がってすぐに大騒ぎの酒宴となったが、船頭は下戸なので直ちに戻ったが、もう1人の船頭は今ご馳走になっていると言うので、急いでそこへ行くと既に古市へ向かってい後だったので、またまた古市へ後を追いかけたところ、杉本屋2階で酒興の最中だったので、まずこの船頭に探させたところ間違いなく、さらに一緒だった船頭もここについて来ていたので直ぐにここで召し捕ると。
悪の報いか、たった1日で牢に引いて行かれたのは天罰と言いながらも行方がわかったのは尾陽の御威光と言ってもよいだろう。
このようなことがあっても全て1日で越前三国まで行方がわかると。
素早いことだと思われる。
この三度飛脚はその後治療して回復し、やはり気分は上々である。

今年の御祭礼は17日が雨天だったので、18日に行われる。
もっとも御厩を御覧になることがあり、戻りの車は櫓で御透見されるので本町御門外で提灯を灯し、御園御門への曳き出しは五半時(午後9時)になり、町々へは九時(午前0時)にもなると。

長者町の車は全て新規に作り替えられ、人形その他の飾りは以前のままで、幕は宝尽し(縁起が良いものが集まった模様)で、これまでの碁盤縞のようなものの中に宝尽しにしたところ大模様の宝尽しになる。

5月9日、庄内川は6合8勺、木曽川天白川は5合、佐屋川は6合。
この日熱田では竜が天上し(竜巻が起こる)、燈明場あたりの舟が残らず御茶屋の方へ吹きとばされ、牛立村の23になる女が1人巻き上げられ、片手は羽織にしがみつき、片手は傘を持って死んでいたと。

5月11日(18日)に馬の塔が行われる。
御透見もあり、随分と出るが、倹約の様子と。
おかげ参りの篭舁の襦袢が一番の出来と。

公儀御茶壷附きの帯刀の身分の軽い者同士が酒の上で口論となり、人違いで清須の定人足に深手を負わせ、その後逃げると。
起でも同様のことがあると。

5月21日、中小路松平又兵衛の屋敷で、奥平勘三郎の支配人諏訪吉右衛門という者の21歳の倅が縊死する。

6月8日から28日まで、巾下虎薬師で開帳が行われる。

6月1日から7月8日まで、萱屋町観音で開帳が行われる。

濃州多良高木氏の娘の間宮外記殿奥様の附人女中が自害すると。

7月17日、18日枇杷島の水量は9合2勺となる。
同じ頃、名古屋巾下上宿ではかなり水が流れてくると。
珍しいと。

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