名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

かなりの天候不順

文政12年。
6月、石河太八郎殿が前津矢場田面で家中屋敷として3000坪を拝領する。

6月13日朝五時(午前8時)前、小さな地震がある。

6月22日、大きな雷がある。
伝馬町筋鍛冶屋町の角に落ち、夜になっても八時(午前2時)まで激しい雨と雷が止まず。
この日、田畑村(田幡村)で60ばかりの1人の婆の手足、顔、その他がちぎれて降る。
中の口村(中ノ口村)へは手だけが降る。
また長光寺というところへ犬1疋が降り、一之宮あたりでは人間がちぎれちぎれになる。

6月18日、堀川水神祭の夜、三之丸手廻舟(手漕ぎ舟)でこの祭に女を連れてきたところ、祭船の附舟(付舟)へぶつかってしまい、とりなして西水主町の見舞舟(見廻舟)から挨拶をしたところ、堀川の若者どもは挨拶を断り、喧嘩となる。
高橋の手廻り(護衛)、千賀の手廻り、他に1人が手ひどくぶたれ、翌日迎えの者が来てようやく帰ったと。
その後、堀川から若い者8人が高橋の屋敷へ話し合いに来たところ、この8人を人質にとって帰さなかったので大騒動となる。
日置の庄屋山崎が陸尺(駕籠かき)に頼み、この8人を帰すように頼むも、日置村の者全員が謝りの証文を書いたならば帰すと言ったので、それならば日置の者どもは証文を書くことを承知せず、また騒動となったのを町方同心からの指図でとにかく謝りの証文を全員が書いて済ませたと。
その証文に振廻(振舞)金3両を添えて遣わすと。

6月20日、八半時(午後3時)過ぎに小さな地震がある。
22日、夜五(午後8時)過ぎからかなりの雷で、鍛冶屋町の伝馬町木戸の際に落ち、木戸が壊れ、柱、壁などもひび割れ、あちこち破損する。
同29日五時(午前8時)前、小さな地震があり、22日から26日頃まで小さな雷が毎日ある。

7月1日、堺屋という志水の油屋の亭主が土蔵の2階で腹を切る。

7月2日、志水小八郎殿の門前で熱田新田十八番割の百姓が行き倒れており、5両2分6匁(ママ)と掛所参りの肩衣を懐に入っていたと。

広小路は涼しく、他に見る物もないので大変賑わう。

7月2日、日が暮れようとする時から中々の雷となり、夜五時(午後8時)頃には大雨となって、雷は止む。
同5日六時(午前6時)過ぎから雷雨となる。
広小路牢屋の際へ雷が1つ落ちる。
前津へ雷が1つ落ちる。
熱田塩問屋へ雷が1つ落ちる。
これで火事となり、2軒が焼失する。
熱田新田へ雷が1つ落ちる。
正覚寺の中へも雷が1つ落ちる。
同6日、小さな雷が鳴る。
同7日、大きな雷が鳴る。
この日、山澄淡州殿の中の樅の木に雷が落ちる。
8日戌刻(午後7時)地震がある。
10日夜、雷雨となる。
11日未刻(午後1時)、雷雨となる。
藤田銕三郎へ1つ、伏見町へ1つ雷が落ちる。
12日夕、雷雨となる。
日置桝屋へ雷が1つ落ちる。
13日午刻(午前11時)前後、雷雨となる。
塩町裏の島津与三次郎へ雷が1つ落ちる。
16日昼、雷雨となる。
17日午後、大雨となる。
18日、昼夜激しい風で破損ところが多い。
この日の子細は後に記す。
渡辺源太左衛門殿の木は倒れ、奥座敷は細かく砕け、南御土居が長島町筋に行き当たるところの松は倒れ、あちこち破損するところが多い。
この夜、大須の施餓鬼は延期となる。
19日午後、激しい雨と風になる。
26日昼前、雷が鳴る。
27日朝、雷が鳴る。

7日の夕方頃、伊藤荷擔(担)で鍋屋町に住む者が伊藤の掛取り(集金)に小牧あたりへ出かけ、2日逗留する。
在所のあたりであったので集めた金80両を親へ遣わし、味鏡(鋺)原で追いはぎにあったと言って、自分で自分を傷つけて戻ると。
その後、親子ともに逗留する。

7月10日より一朱銀の通用が始まる。
金は昨年から通用する。
この図は次の如し(※図は見えず)。

7月16日、天赦往亡日(大吉と大凶が重なった日)。
61年目の悪日とか。
尾州はとても静かに過ごす。
しかし何事もなく終わり、この日北の方から南へ火の玉1つが通ると。

7月18日、朝五時(午前8時)から夜八時(午前2時)まで吹いた激しい風の一件。
一 大須の杉3本が倒れ、施餓鬼棚が壊れ、24日に延期となり、外木戸も倒れると。
一 白林寺の大きな杉が西へ倒れ、渡辺家中屋敷の長屋が崩れる。
一 五女子で家2軒が崩れる。
一 片端明倫堂前の御土居の松が倒れる。
一 渡辺源太左衛門殿の大木が倒れ、奥向きは大いに破損する。
一 一之宮境内のいろいろな木46本が倒れる。
一 大須の杉が倒れ、清寿院への入口の茶屋は大いに壊れる。
一 大代官役所が倒れる。
一 佐屋海道の並木の松はすさまじく倒れる。
一 御城内の大きな杉が数十本倒れる。
一 吉田甚左衛門の大銀杏が折れる。
一 建中寺の破損は50両ほどの費用がかかる。
5月24日は30両ほど。
一 この日常滑の沖に留まった大船5、6艘は大きな碇を4挺ほどかけてあったが、数里(1里は約4キロ)引きずられ、荷物半分を捨てて助かる。
その内の1艘は大きな岩の尖ったところに当たって砕けるが、船頭は何とか助かる。
米はもちろん木綿も大いに流される。
この時熱田の御神馬が3、5日見かけなかったとの噂がある。
宮へ御礼の馬の塔がたくさん出る。
八朔(8月1日)、良い風が吹き出し、ようやく安心と思っていたところ激しい風雨となる。
枇杷島は7合8勺、天白は5合。

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