文政12年。
1月8日夜、志水坂下馬喰孫右衛門の馬屋から火が出る。
馬1疋が焼け死ぬ。
火の見は鐘を打たず。
同7日夜、車道御手先組、横井猪左衛門組で火燵におむつをかけて黒炭を入れたので燃え上がり、寝ていた子がひどくやけどを負い、死んでしまうと。
同22日、午刻(午前11時)に地震がある。
同28日四時(午前10時)前、桜の町筋伊勢町と大津町の間の6軒が焼失する。
蕎麦屋から火が出る。
この日新御殿へ出仕中のため月次の御礼は取りやめとなり、それぞれ寄場へ出仕となる。
稀なことであると。
2月14日夜、2度地震がある。
この夜長島町三丁目八尾という料理屋2階の番所の火燵から火が出る。
上に燃え抜け、直ちに消し止める。
この夜塩町延場(取引所)でも不注意から少し火が出る。
大津町袋町の角のあたりでも同様のことがあると。
2月上旬、萱屋町に住む女1人が首をくくって死ぬ。
これは産後の悩みで身がもたず、亭主は日雇いで米が高くなり生活に困ってのことと。
この春、一橋儀同治済卿最樹院様に正一位大相国が贈られる。
最樹院様は将軍家斉公の父で、中納言斎朝卿の実家側の祖父である。
2月21日夜、善師野宿で30軒ほどが焼失する。
27日土田宿で火事がある。
2月下旬、徳林寺で徳住上人の勧誡が行われる。
同月25日から29日まで、性高院で同人(徳住上人)の勧誡が行われる。
28日、29日、勅謚大僧正宗国師の法会が執り行われる。
3月上旬から、性高院寺家一行院で鎌倉願海上人の勧誡が行われる。
3月3日から4月8日まで、愛知郡高田村龍王山海上寺において弘法大師作西楽薬師を開帳する。
3月5日から4月8日まで、木ケ崎長母寺において観音を開帳する。
3月3日から4月5日まで同所で信州善光寺の一光三尊仏ならびに常燈明、霊宝などを弘通する。
同月5日朝、元材木町山屋喜六の店の押込(押入や戸棚)か火が出て、消し止める。
これは店の者が寝ていた夜具の上に箱火鉢の火が飛んだのを気づかずに押入へ入れたので火が出ると。
同9日夜八時(午前2時)から、御船手屋敷南の筋から4軒目の相川仁右衛門隣から火が出る。
5、6軒が焼けると。
同夜巾下紙漉町で上宿(泊番)御中間が女の元へ出かけると、仲間の御中間もいたので初めの男が怒って女を殺し、それから御用水のあたりへ行って待ち伏せ、後の男を切り殺し出奔すると。
3月上旬、枇杷島社頭屋(社殿)に盗賊が入り、火縄を置いていくと。
同じ頃、間宮外記殿屋敷へ柑子(こうじ)を盗みに入った者があり、定詰留守の野崎主膳殿との境の塀を乗り越えたようなので、家来が用心して柑子の鉢から糸を付けておくと、またやって来て盗んだのを騒いで追いかけるも取り逃がすと。
手籠に火縄をつけ、木が入れてったと。
3月12日昼八時(午後2時)、中小田井で火事がある。
20軒ほどが焼失する。
この日建中寺での瑞厳院様(敬之助)の法事が終わった頃で、新御殿の近所で火事と思ったのか遠見所では次々と鐘を打ち鳴らしたので大騒ぎとなる。
同夜五時(午後8時)に地震がある。
3月中旬、木ケ崎の河原で去年の小田井村の御鍬祭の連中が普段の衣装ながら踊りなどを行い大いに楽しむと。
銭を投げる半鐘もあり、面白い。
近頃は開帳でもないのに東山は大賑わいで、特に島田の地蔵を真似て大賑わい。
三味線、摺かね(鉦)、太皷で誠に賑やか。
その中に三味線箱をたくさん持つ連中がいたので、きっと芸を披露すると思って皆がついて歩くと、この三味線箱に弁当の割箱をびっしりと詰めてあったと。
面白い趣向である。
3月24日、25日、松下□□(ママ)寺で蓮如上人を開帳する。
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