名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

評判記って、洒落みたいなもんだから現代人にはわかりづらい

文政11年。
一 町触の写。
家中の輩に倹約を言いつけられた衣服については別紙の品の他は用いず、羽二重・絹・紬・木綿、これに準じる品については脇書の値段より高価な品の売買を5ケ年の間領内では禁止と言いつける。
このことをきつく心得るように。
ただし、別紙の他の品はこれまでの通り売買苦しからず。
そう承知するように。
11月。
一 羽二重ならびにこれに準じる品の値段70匁まで。
一 絹ならびにこれに準じる品の値段50匁まで。
一 紬ならびにこれに準じる品の値段30匁まで。
一 木綿ならびにこれに準じる品の値段20匁まで。
これらに準じる品は武家への触の通りなので略す。

一 町触の写。
女の髪結については前々は見かけず、まれに内職とする者がいたと聞いているが、段々多くなり、この髪結を商売同様とする者もいるようである。
この髪の結い方の流行を競い合い、自然と差櫛などを始め髪の飾りも贅沢となり、品行を害するようになり、その上髪を結いにやって来た女どもは髪結床(理髪店)のように集まり、中には品行が良くない者もいると聞こえてくるのは不届きである。
この度特に質素倹約を言いつけられたので、今後女の髪結は禁止する。
このこと心得るように。
もし背いた場合には当人はもちろん役人も吟味することをきつく申し付ける。
この度の倹約の一件は武家には厳しく言いつけられたので、町の役人どもがきつく取り締まるので触書ではそれほどの事でもないが全てが厳しくなる。
その際背いた者があれば御目付方、町方全てに厳しく咎がある。
この担当は御年寄衆の筆頭成瀬豊前殿、御目付は兼松又兵衛とのことである。
下々ではいろいろ言う者もあり、あるいは有り難がる者もあり、様々である。
宝暦の年の倹約の際には陪臣にも細かな触があり、妻や娘の衣服にも触があったが、この度はこの者たちには触はなく、その主人や親の考えで取り締まることとする。
この時権門家の門に盲人が足をついて倒れている図を書いて張られうと。
上に目がなく、下が痛むということを表したのだろうか。
町中、町人も年頭は紬までで、それ以上は不可と隅々まで町代が申し合わせると。
それでも祭礼当日の行列にかかわる者は準備した決められた服を用いても苦しからず。
もっとも当日だけのこと。
この頃の評判に、
どうしてもおかぬ物は瀬戸物の巾着と女の髪結。
今年安い物は大根と絹以上の質。
案外値打ちになった物は木綿のかせ糸の値段と物頭以上。
力を落とした物は茶人とおかめの駕籠かき。
どうやらやがて現れそうな物は新米札の引き替えと増上ケ米。
つまらぬものは高倉の番人と暇の出た奉公人。
情けないものは小折の夫殺しと六十人の半役。
さっぱりわからぬ物は道中の人馬継と供連れの減人。
来年の夏を案じるものは雷の嫌いと同心以下の衣服。
よい時に買って置いて、この節自由する(需要がある)物は新御殿の寄木破と有合の紬に羽折。
納めるとよいと案じるより安いものは小娘の斗個入と音信贈答。
隙になったものは両鉄の番人と下々の茶屋。
嫌がるものは馬のはい(蝿)と入江の黒ゑり。
この節変えたほうがいいものは宮のおやま(遊女)と本願寺の仏壇。
わからぬものは宮の祢宜と同心以下。
力んでつまらないものは縁の下の力持ちと陪臣の肩衣。
油断ならない者は15、6の娘と御堀端の番人。
この作品は面白くないことも多いけれど、この時の様子を知るために記す。

(2-p141~p142)