名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

供養の名を借りた金儲け

文政10年。
10月22日、東寺町法輪寺で鐘供養が行われる。
これは元来のように新たに金を鋳替する際の鐘供養ではなく、鐘楼を再建した供養である。
その規式は鐘供養と同様に行う。
行列は見たまま次に記す。
音楽僧5人、大工棟梁等大紋児7人、女児天人の姿4人、熨斗目長袴4人、素袍2人、僧3人、一番鐘 伊部氏の室と 年齢50ばかり 白衣、素袍2人、上人4人、布衣2人、上人3人、二番鐘 長島町一丁目蝋燭屋お順 年齢20才 色衣、三番鐘 同人妹お金 紅衣、四番鐘 魚の棚東石灰屋娘 色衣、五番鐘 裏町米屋母 70才ばかり 白衣、以上。
当日は本堂から鐘楼へ桟橋をかけ、その形はまるで刃をようだと。
鐘供養の式に彩衣を用いるとは何事か。
言語道断、全く思慮が欠けている。
有名な芸妓の兄弟のためはなはだ評判を呼び、人が集まり立錐の余地もない。
この寺は近頃妙見宮として繁栄し、妙見講などの講もできる。
元来この寺の僧は美しい僧で、かなりの山師(詐欺師)であると。
そのためこのような事を企てたのか。
後に7日の間閉門を仰せ付けられると。
その理由は鐘楼供養で願いを済ませたのに鐘供養の式を行い、特に少女を集めて不束であると。

10月28日、七寺弁才天の正遷宮を行い、大賑わいとなる。
この日は神楽が行われる。
鮒・鯰を初めて放生(獲った魚を自然に放つ慈悲行)する。

11月1日、補陀山円通寺羽休秋葉の上棟の規式が行われる。
群衆が取り囲む。
規式は四時(午前10時)のはずが、ようやく七時(午後4時)に終わる。
肴屋連中を始め取持人(世話人)がとても多く、食べ物は十分である。
肴屋が得意先に頼み廻ったので名古屋・熱田は言うに及ばず遠くからも寄進の品が多く、餅は80石、近頃の上棟の式では東本願寺の他ではこれ以上のものは知らず。
11月12日、正遷宮が行われる。

同日、大光院烏須沙摩明王再建の柱立の式が行われる。
これまた人が群れ集まる。

11月17日から17日の間、熱田円福寺で遊行上人神勅御札を先例の如く弘通する。
これはその前に4日から14日まで萱津で弘通する。
7日、御年寄衆寺社奉行の家への上人廻勤の行列を見受けたので次に記し置く。
徒士熊野権現神輿 釣人6人、合羽籠、歩供、徒士、白丁代笠、袋笠、輿、合羽籠。(周りの供は略)

10月、本願寺門主所司代衆からの制止の書付を得る。
宗門法義のためと申し立て、来春尾州へ下向いたしたいと先だって願われた。
その旨伺いを立てたところ、身のほどに合わず、遠国への旅行はけしからぬと。
かつ近頃驕奢がますますはなはだしいと聞き及んでいる。
朝廷に対せても恐れ多いようなことが多分にあり、まさに祖師の教えにも背くことである。
心得違いであるのできつく遠慮をいたすように。
10月。水野越前守。
本願寺 常朗殿。
この趣は老中たちから申して来たので家老を呼び出して申し渡す。
これにつき、10月28日から東懸所の新御殿の普請が中止となる。

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