文政10年。
小田井祭(御鍬祭)中止の一件。
この趣向ははなはだ華美であり、猩猩緋・天鵞絨(ビロード)全てが綾羅錦繍(りょうらきんしゅう)で着飾り、はなはだ評判にもなっていたので地方(じかた)の役所から差し止められてしまい、当日は村方だけで祭を氏神で行う。
差し止められた理由は、年貢を容赦してほしい、あるいは天王祭を隔年にしてほしいと願い出ていながらこのようにぜいたくな祭を行い、特に中島へは呉服屋いとう大丸屋が店を出し、御鍬祭衣装の注文請取所などといって店を出すなどしていると。
その趣向は加茂の競馬の装束、猩猩緋・黒天鵞絨などで拵え、馬は馬具とともにで1日5両で5疋借り、富士の巻狩の趣向では大将頼朝公の装束は25両だと。
味噌吉箕浦などは大変な評判だと。
その他分不相応の物入りであると。
庄屋の者どもの中から内々に差し止めを願い出たとの噂もある。
ある話では、庄屋が御鍬が最初到着した際に添えられていた神酒を村中へ廻した。
廻文にはこの神酒を頂戴するとたちまち狐が憑くと。
このように前に明らかにしたように祭は中止となったので、祭の品には役所で封を附け、庄屋には手錠を打つと。
前津、日置、押切、枇杷島などは町支配のため上手く扱ったが、小田井は地方支配で初めて中止するも、あまりにも評判が高かったので国老太夫へも伺いをたてたとか。
何者が行ったのであろうか。
(歌略)
このように小田井の祭が中止のため、あちこちの村々もこの後質素になると。
広井などは祭をはなはだ質素に早めに終えていたが、あまりに世間が立派であったのでやり直しの計画もあると。
しかしこの小田井の中止で幸いにも止めたと。
熱田支配の尾頭などはいまだに中止のことが知らされていないからと10日に済ませる。
前に詳しく記した須賀町は9月28日、中瀬町あたりは10月22日、23日。
この祭を竹腰侯の息女が再度揃えさせて浜の銭屋で見物したと。
11月2日、東脇の巻わらを津島祭のように飾った御鍬祭が行われる。
全て豪華、質素の違いはあるけれど、祭を行わなかったところはひとつもないと。
熱田伝馬町は11月11日、12日に済ませ、大賑わいと。
巾下、名護屋村、古井、その他近辺では質素に済ませると。
この中で一番の出来は日置である。
踊りの拍子の稽古が行き届いていたのは押切・枇杷島である。
人数を多く出したのは古渡である。
趣向もよく、相応に豪華で立派なのは尾頭である。
見物人が多く、人が集まったのは尾頭である。
豪華さの最上は小田井である。
中止となって残念、残念。
東の村はそれほどでもなし。
何れも男芸者に踊らせ、下方(囃子方)の輩は稽古に雇われ忙しいと。
金儲けの一番は呉服屋を始め紺屋、仕立屋、酒屋である。
ある人の狂詩を知る。
(歌略)
この如き狂詩、狂歌が山のようにある。
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