名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

湯かんされて、髪を剃られても寝ているところがすごい

文政10年。
飴屋町御黒門組某は仲間に憎まれており、去年初幟の際に金を惜しんだので、その後寝ているところを湯かんされ、髪を剃って葬式の真似をされる。
その者は無念に思い、伝手をつかってそのことを報告すると張本人2人は浮人(浪人)となり、残りは差扣(謹慎)となると。

6月25日朝、中うねらう(?)の木で首をくくる者がある。
これは長久手生まれの者と。
ヲテンマ(米舂人)仲間で憎まれ者だと。

6月23日、洪水となる。
枇杷島の7合7勺、起川は6合2勺となる。
枇杷島へ御勘定奉行芦沢藤蔵・御目付吉原権六郎を寄こす。
24日、4合2勺になったので引き上げると。
小十人の中から23日の洪水のところを見廻ると。
枇杷島万屋の何某が流され死んでしまう。

巾下虎薬師で夜の開帳する願いを済ませる。
このあたりの通りでは夜店が本町のように揚弓を行う。
壬6月8日から7月28日まで50日間の開帳なので大賑わいとなる。

壬6月14日、清須津島天王祭が行われる。
またまた影祭(本祭の間に行われる祭り)が行われる。

7月16日夜、京町仕立屋高木屋彦九郎の家騒動の経緯を尋ねると、高木屋に16になる娘があり、その娘に正万寺町生まれの養子(入婿)がいた。
この養子が娘の親で、養子にも親にあたる後家と関係を持つ。
そのため娘は親類のところへ行ってしまうと。
しかし、この後家は身持ちが大変悪く、行いが悪くて江戸へ立ち退いた彦九郎の弟で最近戻ってきた山田屋又八と最初関係を持っていたが、近年養子と訳ありになり、この又八は捨てられてしまう。
当16日夜明け頃、この又八忍び込んで養子を殺し、自分は井戸へ飛び込んだが、その後また命が惜しくなって井戸にいたのを引き上げたと。
もっとも縛り置いて上へ報告する。
その時の歌に曰く。
おやもとり子もとる蜂の聟とのを又はちか来てさしころしけり。

7月18日夜、雷が上小田井村へ落ちる。
2軒が焼失する。

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