文政10年。
3月7日から4月8日まで、木ケ崎長母寺で見性寺薬師如来を開帳する。
20日まで延長する。
3月10日から27日の間、新町大光寺で身延山を開帳し、大繁盛となる。
3月上旬、住吉町酒屋の小僧が酒室の中で室が崩れて死んでしまう。
2月中旬、御広敷組高木芝蔵の子が筋違橋から落ちて死んでしまう。
姉娘(長女)がこのことを知らせたが、申し訳なく思って行方をくらましたのを探し出す。
3月、紅葉矢来(新御殿の木戸)の普請を行う。
去る2月26日、公儀御儒者島田十蔵という者が囚われの身となり、江州あたりの2万石ほどの大名衆に御預けとなったので名古屋へやって来る。
島田は御高持奉行の近藤か。
警固の武士は80人、雑人ともにあわせて200人。
半纏、割羽織、朱裏塗笠で手に十手を持って警固する。
当人は長棒の板乗物で。
これは謀反人とのこと。
優れた儒者であり、大名に門人が大勢おり、語り合っていたのが露見したためこのように御預けになると。
去年のひどい辻切もこの人だと。
3月28日、中小路稲生屋敷の長屋が少し火事になる。
3月下旬、長雨が続き、25日ほど雨が降らない時がない。
枇杷島は5合になる。
3月、鍛冶屋町下、百五十石大判組の西郷弥右衛門が23才の倅を折檻していると、急所に当たり倅がしんでしまう。
妾の告げ口という話だったが、そうでもないようである。
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