名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

神様も逃げ出したくなることがあるのか

文政7年。
らくた(らくだ)櫛が流行る。
木で作られている。
その形は斯くの如し。(図略)
上の部分は角ばっている。
小さい櫛である。

巾下新道で人を斧で殺して自分は首を吊り、女房は召し捕らえられる。

熱田誓願寺で自害した者がある。

8月4日夜明け前、巾下西浅間町で火事がある。

19日から22日まで、東懸所で先門主の三十三回忌が行われる。

熱田材木町に延場(取引所)が始まる。

栄国寺で渧山上人の説法が行われる。
太子談講釈(聖徳太子の物語?)。

大池で殺生(漁)をする者がとても多い。
船を出して網を打つのは今までないようなことである。
大賑わいである。

蟹江の茶屋へ、先ごろ京街道門前町の仏具師を殺したのは自分だとやって来た者がある。
入牢になると。

近頃、津島天王の御正体(御神体)が三宅へ飛び去ったからと、三宅に人が多く集まる。
この度の遷宮で仮殿の戸締りをしなかったことがあったからだと噂する。
怪しいことである。

前津甘酒長屋下の屋敷に貸し座敷が出来る。
40畳ばかりの高殿のような造りで酔雪楼という。

この頃、阿弥陀寺堀口観音堂を南へ引き移して建てる。

9月、東懸所新堂向拝の柱のとても高い大虹梁の下のところに傷ができる。
東から2本目の柱の西北側の面に。
欠けて痛んだ様子でもなく、へこんでいるようである。
人々は不思議に思う。

10月頃からおたふく飴といって白飴を小口切にしたものを辻売りする者がある。
かさほこ(笠鉾)のようなものを立て、歌を歌ってその歌を売る。
十二月数え歌、ちやかほんぶし(流行り歌の一種)と言う。

久屋町金泉庵を瑠璃光寺と改める。

10月15日、七ツ寺の弁天講(弁才天祭)の神楽が始まる。

同16日夕方、七間町正徳寺向かいへ向かって少し焼ける。

同21日夜、雷が鳴る。

11月1日巳の上刻(午前9時半)、西本坊体面所玄関の作事の柱立が行われる。
棟梁は立烏帽子、脇3人は布衣(ほい)、幣帛(へいはく、御供え)持は素袍(すおう)を着る。
儀式場は本堂北に仮屋を立て、三ツ扇を立て、三社の幣帛、その他大きな瓶子(へいし、酒器)、飾り物数品、本堂から桟橋を渡し、列をなす。
棟木柱釣の日用方、木遣り師は作事小屋から庭へゆっくりと歩き出て行き着く。

東本坊北の組屋敷の2つを伊勢山側へ引き、火除地とする。
薮の町あたりは結構な町となる。

広小路へ江戸からやって来た居合抜きを行う者が見学の者に怪我を負わせたので中止となる。

たてヱフ(立絵符)には、この薬売りは格別の家柄で公儀も御覧になったとある。

11月18日、寒に入る。
夕方雷が鳴る。

七寺に片岡仁左衛門が願主で百度参りの石を立てる。

報恩講の間ときおり雪が降る。
晴れ間はなし。

24日、大光院明王堂の手斧始め(ちょうなはじめ)が行われる。

この頃、東懸所本堂前に大きな銅籠(銅製の灯籠)が2つ建つ。

12月4日夜、堀越村で火事がある。

13日夜、栄国寺門番部屋が少し焼ける。

寒の間、雪が多い。
ただし大雪にはならず。

27、8日頃から大みそかまで火事の噂がある。
しかし、少しのぼやばかりで大事には至らず。

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