文政7年。
3月□(ママ)日から4月1日まで、藤島村堅林寺で観音を開帳する。
同10日まで桜誓願寺で部田祐福寺の小三尊を開帳する。
24日から児之宮(児子宮)で流行病のはやて(疫痢)、はしかの祈祷修行を行う。
4月14日、風が強く、若宮八幡宮の大鳥居が東へ倒れる。
4月17日、雨が降る。18日、祭礼が終わり、茶屋から出した大母衣は前方へ行き、鉄棒引は麻上下を着る。
これまでは羽織袴であった。
後ろを行く者も麻上下を着る。
これまではさや(紗綾)形の上下であった。
同25日、橋の寮で池の坊が立花を披露する。
5月4日申の下刻(午後4時半)から雷がかなり鳴り、雨が降る。万松寺中の万年寺へ雷が落ちる。
蒲焼町真広寺で下総の国結城称名寺の玉日の宮(親鸞の妻)の木像、その他霊宝を弘通する。
5月18日、馬の塔が少し出る。
御庭方1疋、黒鍬(黒鍬衆)連馬1疋、大津町2疋、その他は馬だけ、熱田からも2、3疋出る。
6月6日、裏町の作り物で上畠は江戸両国の景色、信行院の太鼓堂を遊舟の館に見立ててる。
信行院は高田が本山。
江川新町は堀川の桜の様子で、水中に桜の作り花を立て、茶屋を造り、女形には赤前垂(女性の仕事着)をし、或いは遊人が釣りをする様子、側には筏や小さい帆かけ舟もある。
その桜のあるところは上畠筋から上へ大圦までおよそ3、4町(1町は約100メートル)、作り花師への代金は3両2分とか。
東側の町には堀川の聖運寺の門と宝塔を作る。
また小鳥落し(山車の飾りっ物で小鳥を獲る様子を表したもの)は伊勢の相の山、八十社の天の岩戸、二見その他いろいろな造り物がある。
6月8日朝五ツ時(午前8時)、かなりの地震がある。
□(ママ)
6月15日、片端へ見舞車は広井の上中下の3輌、人形を上げて飾り、見事な出来となる。
百姓からの車。
その他この町の車も来るが、先例がないとのことで曳くことが出来ず、伝馬橋から戻る。
16日、若宮の車の御覧はなし。
早く戻る。
愛知郡島田地蔵は利生(ご利益)があると流行り始め、人が多く集まる。
11日、雨天で延期になる。
21日に祭は23日に延期になる。
殿が御覧になるとのことで21日に引初めを行い、23日に祭を行う。
当日砂子川上の新川の橋詰まで車を引かせ、橋の上で御覧になる。
また夕方に提灯を灯し、戻る車を枇杷島小橋で御覧になる。
またこの時から天王の神門を木戸門のように建てる。
今までは高塀であった。
これは去年枇杷島小橋で鷹野の際に御覧になったことからと。
6月28日、この日は津島天皇の仮遷宮であったが、朝雷が鳴る。
夕方まで風雨が騒々しい空模様で、秋の台風のようであった。
津島は雨天のため翌29日になる。
7月8日、未の刻(午後1時)から雷雨となる。犬山のあたりでは激しい雷雨で、雷で焼失するところもある。
また葉栗郡瀬戸村へも雷が落ちて人家が焼失する。
建中寺前にも1つ雷が落ちる。
同9日夜、南の方で雷が激しい。
当夏、門前町で芸子かんざいというものを作って売り出す。
その形は(図略)。
この三味線は木で、錠は鉛でできている。
(2-p90)