文政9年。
5月28日、直七郎様(徳川斉温)が従三位中将に任ぜられたので江戸への使い天野新太郎。
6月4日定光寺へ名代大道寺玄蕃がこれを伝える。
この日6月4日は夕七半時(午後5時)から激しい雷で、落雷の個所は左のごとく。
津田縫殿頭殿裏土居へ1つ、玉置小平太殿裏へ1つ、東寺町へ1つ、巾下大伝馬町へ1つ、長塀筋へ1つ、志水坂下へ1つ、露橋村へ1つ、元重町大脇作之進へ1つ、長島町一丁目大ドス古金屋与左衛門へ1つ、納屋町へ1つ、祢宜町へ1つ、枇杷島へ1つ、中橋水中へ1つ。
右の他、聞いてない分がどれだけあるかはわからない。
この翌日水野定光寺あたりでも激しい雷と。
6月12日、七時(午後4時)頃、激しい雷があるが、数は少ない。
河原町水野八郎右衛門の門をかなり傷つけ、松も裂けると。
6月26日夜四時(午後10時)過ぎから、巾下江川町江川橋から1町(距離なら1町は約100メートル)が残らず焼失する。
金沢屋で火が止まる。
火元は八百屋で、一里塚が焦げる。
7月8日、御園下道円屋敷指物師に鬼の子(異形の赤ん坊)が生まれると。
7月25日夜四時(午後10時)過ぎ、地震がある。
7月23日朝、熱田新田で龍が天に上がり、新田あちこちを進み、堀川毛利の下屋敷前天王の柳は折れ、祠は川へ落ちる。
くらがりの森でおさまる。
新田の家は少々焼失する。
熱田から見た者は火の玉のようであったと云々。
8月12日、小川町山伏法印はいつも漁を好み、沖で暮らしていたが、この日ある町家に雇われ親子で出かけ、穂田から網を打ちながら上がって来るが、網を打ち込む際に海に落ち、手縄を取ったが縄が切れてしまったので、棹を出せ、出せと呼んであれこれするうちに船が離れ、法印は流れ死んでしまう。
8月17日から天道山高照寺で冨御免(富くじ)が始まる。
この尼は大山師で、二条家の息女を申し受けて後住にする手はずを整え、いろいろ策略をめぐらすような人だと。