名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

ただ見たいだけで打首が行われたの

文政8年。
3月2日から21日まで八事山弘法大師の供養が行われる。
躑躅(つつじ)の盛りで大賑わいと。
千年忌を繰り上げて行い、21日に大施餓鬼が行われる。

今年、成瀬隼人正、安藤帯刀は3日登城するはずで、その後中山備中守、竹腰山城守、水野飛騨守も同様に月次の御礼に登城するはずである。

3月29日、(藩主が)帰国する。
木曽路を通られ、その道中で御中間頭桜井重左衛門が和田山中の藍の中で切腹する。
御女中1人が乱心で自害する。
御手筒頭今泉源内は駕籠の棒の上に岩が転がって落ちてくる。
しかし、主従ともに怪我はなかったと。

3月22日八時(午前2時)頃、尾頭の渡辺半蔵殿の控屋敷が焼失する。

3月26日、祢宜町矢切というところが1町ばかり(1町は長さなら約100メートル、広さなら約3000坪)焼失する。
野呂瀬半兵衛殿の控屋敷だったと。

近年犬が多く現れ、御延気(行動や食事に制限のない日、外出などを行った)の際など宜しくないとのことで、追々触がある。
狂歌に、御触とて尾をふる物をころすとハあまりむこひなまちん奉行衆(触だからと尾を振る物を殺すのはあまりにむごいなまくら奉行衆)。

3月下旬、大津町下広小路上ル西側の板屋某のところで、弥陀如来の懸物に書かれた尊像の目が開き、瞬きをし、大目をむき、人を欺く。
これは狐や狸の類か、または糸を引いたりして人をたぶらかすものか。
愚かな者たちがたくさん集まり、賽銭を投げる。
後に召し捕らえられるとも。
何たることだろうか。

一 紀伊宰相斉順卿が今年初めて国元へ入られる。
参府の年のため百日の暇が出る。
4月朔日(1日)は鳴海に泊まり、2日は起に泊まる。
将軍家の14男で、年は25、6に見える。
御老(家老)は下条伊豆守、1日遅れで安藤帯刀。
行列はとても美しく、立派である。
江戸を出発する際には上様もどこかに隠れて見ていたと。

4月、御家中始め町どもへ倹約の触がある。
文政十一子年厳敷御倹約ニ成。

4月19日昼八時(午後2時)、出来町の居宅屋敷の東の端の1軒が焼失する。

4月上旬、木曽川で傳の小さな女が子を背負いながら流されて死んでしまう。
子は片手にゲンゲ(レンゲソウ)を持ち、片手で肩につかまりながら死んでいたと。
むごいことである。

4月16日、日置無三殿橋のあたりで男1人が水死する。

6月上旬、若宮の鳥居が建てなおす。

後 6月11日、小田井祭が23日に延期される。
これは、△印へ飛ぶ。(乱丁あり)
前 6月2日、日置の子殺しが2人磔になる。
広小路で他に3人打首になる。
中納言様御延気のついでに御覧のため。

6月29日朝、若宮社内の松が雨風もないのにねじ折れる。
これは2、3日前からその松の上に提灯を掛けておいたのになぜだろうと皆が言い合っていたが、28日の夜にこの提灯がどこへ行ってしまったのか無くなっており、ますます不思議に思っているとその翌朝に松が折れてしまった。
そのため町内では増番が始まる。

7月1日夜、雷鳴がして、伝馬橋、納屋橋に落ちる。

7月上旬、杉の町で何かが嚙みついたという噂がある。
あるいは猫・栗鼠(リス)・かまいたちの類か。
これは大いに評判になったけれど、どこの誰で、噛みつかれたなどという人を見かけず。
これもただの噂だろう。

(2ーp56)