名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

心中だとか自殺だとか暗い話題が多い

文政8年。
2月12日、津田太郎左衛門殿中間が女中を殺し、自分も自害しようとするが死ねずにいたが、どうやら心中のようでもなく、殺人のようなので下牢に入れると。

2月13日、日置橋のあたりで男が1人水死する。
辰巳圦のあたりに女が1人水死する。
心中だと。

同日、熱田伝馬町美濃屋太右衛門は子飼い1人を折檻するうちに死んでしまったので、大いに面倒なことだと。

2月17日、本重町で女が1人自害する。
右は長島町何とかいう家に奉公し、藪入りで実家に帰っていて死んだと。

2月上旬、建中寺裏で鉄砲塚裏のうどん屋が首を吊ったと。
右は夫婦喧嘩だと。

この頃の評判に銀上がる、金下がる、王は歩を取り、飛車となる。

ある話で弐歩判という者が壱朱判という女と密通し、公儀から暇を出されてどうしようもなくなり江戸を立ち退き、あちこちで居場所を求めたがどこでも受けが悪く、相手にもされなかったので西国へ向かったが、ここではさらに見ず知らずの土地だったので追い払われたので川に身を投げ死んでしまったので、この地の検使がやって来てじっくりと見分する。
多分これは心中であろう。

2月28日、西水主町で角力の願いが済み、力自慢の会が行われる。

大須八幡宮で今年から鈴の舞が始まる。

3月2日、稲生で御小人何某がまず妻を殺し、切腹したと。
いかなる理由か。

3月3日から12日まで南寺町性高院寺中の一行院で蜂須賀弘法大師ならびに霊宝などを開帳する。
16日まで延長する。

3月6日夜、万松寺前の筋にある善篤寺の堀に身を投げた者がある。
右は大道寺玄蕃領の中島郡天池村の百姓の娘で誰かが殺して右の堀に捨てたと。

3月15日、熱田で舞楽が行われる。
振鉾 粟田富大夫守智 磯部伊織真香。
承知楽 大原柳太為周 鏡味多門真顕。
仁和楽 林六郎太夫重猶 守智。
春庭花 為周 長岡幸福太夫保褒 貞顕 松岡弥三郎大夫守賢。
白演 粟田石見守長 大原紋治武逗 林大蔵重直 重猶。散手 真香。
貴徳 重猶。
退出。
長慶子。
散手・貴徳の面はこの年にできる。
一宮の神宝古物の写しである。
府下の玉屋何某が作る。
右大宮の舞楽は往古からずっと毎年行われていたが、応仁の頃に取りやめたのを瑞公(徳川光友)の時代に再興し、また取りやめとなっていたのを近年楽器の修復され、3月の中旬に行っていたが、今年から日にちを決めて15日に行われるようになったのはありがたいことである。

3月19日夜、本重町で首を吊って死んだ者がある。
同日、高木八郎左衛門殿家来何某が罪を犯し、町同心に捕まえに来たところ主人の居間で切腹する。
20日朝、中杉村で尾崎与次右衛門二男の尾崎金蔵が大垣の浪人を殺したと。

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