享保2年12月24日。
巳(午前9時)頃、大塩伝九郎子の勝左衛門は弟が五十人の番に出かけるからと刀を次の間に置いて父の前に出たすきに、その刀を取って弟を切ろうとした。
勝左衛門は去年まで日向守様(松平義孝)に奉公していたが、どうやら呼び寄せたとか預けられたということではないらしい。
自ら少し手と足を傷つけ、血を流した。
勝左衛門は刀を置いて走り出し、村井弥一左衛門のところへ入ってかきがね(繫金)をかけた。
黒い紋付を着た弥一左衛門下男が庭で餅をついていたが、大騒ぎして篁(竹林)の坂をくぐり、治部右のところへ行き、急いで来てくださいと叫んで立ち去った。
この夜治部右衛門は婚礼で、弥一左衛門は肝煎で省林のところにいたが、脇差のまま駆け出した。
勝左衛門が台所で震えていたので屏風を立て、布団をかぶせておいた。
弟は脇差だけで追ってきて、駕籠も持ってきた。
門の外、辻のあたりには人が多く集まり、喧嘩だと大騒ぎしていた。
その後、酒田庄助・赤堀惣左衛門が病人であるので引き渡してほしいと云々。
隼人正へ内々に問い合わせ、戌(午後7時)前に渡す。