享保2年12月22日。
申(午後3時)過ぎから文左衛門は弥次右へ出かける。
30両の頼母子会で半口分を入れる。
成田新内・鈴木平次左・代助・蛯江弥左衛門・塩川段蔵と夜食を頂く。
鯉の指身・あぢ(鯵)の焼物など。
文左衛門は文左衛門の米は4斗8升。
1匁40文。
太田庄左衛門が逼塞となる。
29日に赦され、出仕する。
濃州南宿で8年前に甥を殺し、伯父へ金を遣わして治めたが、また去年から伯父が金を求めたが庄屋が取り合わなかった。
庄左衛門は庄屋の奥書がなければこの願いは取り上げないと放って置いたところ、この7月に評定所に直訴した。
このため庄左衛門は叱られた上にこの如く。
これは庄屋が取り合わなければ庄屋の奥書がないはずだと思い込んでしまったので、庄左衛門は謝り、罪を受ける。