享保2年11月18日。
大久保平太長屋の溝端に50に近い男が羽折・脇指・革足袋で死んでいた。
横井六右衛門組の中間孫市だと。
34、5才と云々。
悪ふざけをして酒を飲んだ上、溝に落ちてしまう。
泥水をしたたかに飲み、胸がふさがり死ぬと。
小兵から増左・六太・数都が丑(午前1時)頃帰る。
この時、野原新助・岡田伝七の見分がある。
翌朝六右衛門のところへ受け取る。
少し前、仏具屋太郎左衛門は京へ出かけた。
越後屋で用務だと偽り、30両あまりの呉服を請け取り、直ぐに質に入れた。
越後屋へは知らせることなく名古屋へ帰った。
このため詐欺同然だと町へ急いで手紙を送り、不届きが明らかになれば江戸へ訴え、八判(訴状を受理したという裏判)を付けると云々。
このため町から詫言に出かけ、年賦の扱いにする。
このため逼塞扱いにして閉じ込めていたが、大いに吐血し、この日死んでしまう。
とても貧乏な悪人だった。
落合喜八郎は懇意で、家を抵当に金などを貸していた。