享保2年11月11日。
夕飯後に頼母子会を行い、八郎右と久左衛門がやって来る。
10両で久左衛門と文左衛門の扣へ半口ずつ落ちたが、瀬左へ振り替えて遣わす。
5両が文左衛門の扣へ落ちる。
これもまた八郎右へ振り替えて遣わす。
ためし物の内2つを隼人正が貰われる。
下野村文右衛門が獄門となる。
これは少し前に自らを下目明しと偽り、斎藤村権十郎が博打を行っていると村に預け、村から詫言の金を取ろうとしたが、村は何もしなかったので仕方なく番太(番人)に申し付け、殴りつけようと縄でくくって木に引き上げると首が締まって死んでしまった。
このため露見する。