名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

どっちもどっちの刃傷沙汰ってことか

享保2年10月11日。
坂下古木屋円六のところへ隼人正馬乗益本新六がやって来て台所で口論の上に切りつけ、頭を切られて裏へ逃げた。
西隣の酒屋井筒屋九郎兵衛のところから表へ出ようとして急に入口で死んでしまった。
10余り傷があり、歯を噛みしめて刃を握り、大きなため息をついているのを無理に引くと手内(ママ)(掌)が切れた。
新六は森十郎兵衛のところまで立ち去った。
十郎兵から隼人正に伺いをたてたところ、心配ないと呼び返し、前々の通り勤めた。
新六は九十軒町に住み、円六とは知り合いだった。
少し前に田畠に土地を買い求め、円六に授けたことにして家を造らせるが、仕事を押し付けはかどらなかったと云々。
新六は以前町代へ届け出て事情を話し、この日出かけた。
ここに及ぶと云々。
あるいは、9月まで新六のところに仕えていた女を円六が召し抱えたのを暇を出せと言ったのに出さなかったと云々。
新六はなかば気違いのような男だと云々。
円六もまた分をわきまえず、はなはだ分不相応と。
文左衛門が岐阜へ行くとき円六が乗物に乗っていくのを見かけた。

午半(午後0時)靭負殿下屋敷から火が出る。
長屋から火が出て、玄関と茶屋と数寄屋の3ヶ所が残り、その他座敷などは残らず焼失する。
未半(午後2時)に鎮まる。

橘町の春芝居は十三郎から上方役者6、7人を出演させるとの願いを済ませる。

近頃、守崎舎人が伊勢を参詣する。
隼人正から藤田新五左衛門を附けられる。

尾頭の元興寺の薬師は荒廃して長らく経っていた。
建中寺の隠居即随が金で話をつけ、隠居所に貰いうけ、はかり(葉苅)村浄土宗長福寺の末寺長谷寺の寺号を25両で買う。
長谷寺は貧乏寺で、ほとんど廃寺であった。
御代官の面目もたて、奉行所との話も大方つける。
古跡を再興し、元興寺と号するはずである。
尾頭山元興寺は道場法師が開基する。