名古屋の町は大騒ぎ

名古屋でおこった江戸時代の事件を紹介

享保2年6月の徳川継友の動向

享保2年6月1日。
御目見が能の初めと終わりの2度ある。能が終わって泉光院様(徳川継友生母)へ出向く。
享保2年6月3日。
能が終わり、医王院を奥に通し、対面する。
享保2年6月5日。
建中寺を詣でる。知法院様(徳川綱誠娘、徳川綱吉養女)御守殿へも。鍋屋町を通り、帰りは主税筋。
享保2年6月14日。
卯半(午前6時)、供揃えを行い、辰半(午前8時)過ぎ、文昭院様(徳川家宣)霊屋を詣でる。帰りは夜になる。甚目寺海道で津嶋へ出向く。笠は嫌われて召さず。御供の衆は甚目寺から許される。
6月14日津嶋御供の衆。蔦木宇源治、阿知波織之助、水野善司、馬杉彼面、吉田主膳、中尾浅之進、元徳、宝元、石川理左衛門、横井告右衛門、古屋源之右衛門、植原金左衛門、稲葉半左衛門、志水八郎左衛門、織田丹下、魚住善次右衛門、五味伴大夫、平岩弥五左衛門、渡辺七左衛門、大橋治左衛門、太田沢右衛門、鈴木与五左衛門、青山儀左衛門、馬場三右衛門、都筑元右衛門、志水七郎兵衛、森本孫助、吉田源之右衛門、仲野理右衛門、国枝藤蔵、宿割酒井定四郎、同小川宗左衛門、広沢三郎九郎、太田林右衛門、加藤作左衛門、市川文左衛門、大泉太兵衛、富田勘左衛門、金林捨十郎、山田利兵衛、小池理左衛門、清阿弥、堅阿弥、横井十郎左衛門、庵原平左衛門、上野小左衛門、河村縫殿、津田兵部ー6月9日に出向くー
騎馬の次第。御前騎1人ずつ。馬場さん右衛門、都筑元右衛門。
御越の節。2人ずつ騎馬。蔦木宇源治、阿知波織之助、水野善司、馬杉彼面、中尾浅之助、吉田主膳、上野小左衛門、庵原平左衛門、横井告右衛門。2人ずつ騎馬。古屋源之右衛門、植原金左衛門、稲葉半左衛門、志水八郎左衛門、織田丹下、魚住善次右衛門、鈴木与五左衛門。2人ずつ騎馬。吉田源之右衛門、中野利右衛門、国枝藤蔵。
帰御の節。2人ずつ騎馬。蔦木宇源治、阿知波織之助、水野膳司、馬杉彼面、中尾浅之進、吉田主膳、庵原平左衛門、横井十郎左衛門、横井告右衛門。2人ずつ騎馬。古屋源之右衛門、植原金左衛門、稲葉半左衛門、志水八郎左衛門、織田丹下、魚住善次右衛門、青山儀左衛門。2人ずつ騎馬。吉田源之右衛門、中野理右衛門、国枝藤蔵。
享保2年6月15日。
この朝丑の刻(午前1時)、佐屋で供揃えを行う。このためたいていの者は寝る時間もほとんどなし。しかし卯(午前5時)、出船する。満ち潮が来なかったので。市江などで放鷹され五位(ゴイサギ)などを獲る。戌半(午後8時)に帰城する。