享保2年2月28日。
この日、諸役所へ御上国が決まるとの知らせがある。
ただし、内密にするようにと云々。
夕暮れ過ぎ、中川庄左衛門のところへ高橋斧右衛門の若党で24、5の安藤勘六を呼び寄せ、座敷へ入れて監禁し、牧野孫兵衛惣領御目見孫八と2人で切り殺し行方をくらます。
庄左衛門は200石、壱岐守(竹腰)組で孫兵衛も同じ組であった。
勘六は初め庄左衛門養父作兵衛の前髪草履取であった。
この春までは庄左衛門のところで草履取りをしていた。
この時も勘六と名乗っていた。
当時庄左衛門召仕珍内・軽右衛門・斧右衛門から2人の帰参を願ったが叶わなかった。(意味不明)